精密小型モーター大手の日本電産を一代で売上高1兆円以上の巨大企業に育て上げた永守重信会長(76)が6月22日、最高経営責任者(CEO)のポストを日産自動車から昨年招いた関潤社長(60)に譲る。新型コロナウイルス禍でも業績を伸ばした関氏の経営手腕が永守氏の世代交代の決断を促した。経営リスクの「後継者不在」に解決の道筋を付けた形だが、完全に権限が移譲されるには、関氏が電気自動車(EV)向けモーター事業を成長させ、さらに永守氏から評価される必要がある。
「この1年間、(関氏と)一緒に仕事をしてきたが経営手法が非常に良く、即断即決、トップダウン能力、人格とどれを取っても後継者にふさわしいと評価した」
◆経営リスク解消
永守氏は日本電産が4月22日に開いた2021年3月期決算の発表会見でこう太鼓判を押し、CEOを退任して、関氏に後任を託すことを明らかにした。正式には6月22日の株主総会後の取締役会を経て交代する。
3月期連結決算は、売上高が前期比5.4%増の1兆6180億円で過去最高を更新。営業利益も47.4%増の1600億円となった。巣ごもり需要やテレワークの拡大をとらえ、家電やゲーム機、パソコンなど向けにモーターの受注を拡大。関氏の昨年4月の社長就任直後から新型コロナ禍で製造業界全体が停滞したが、日本電産は、それまで生産拠点などでの業務効率化や製品の原価率改善などに取り組んできたことも奏功した。
永守氏は会見で、関氏を後継者として育てながら権限を移していく方針を示した。
日本電産は永守氏が1973年に社員4人で創業。京都市西京区の桂川のほとりにプレハブ小屋を建て、精密小型モーターの生産を始めた。単身渡米して飛び込み営業を続け、米大企業3Mからビデオテープのダビングに使用する小型モーターを受注。その後も技術力を持つ企業のM&A(企業の合併・買収)を繰り返し、コストの改善や生産効率の向上を進めてきた。
業績を伸ばす一方で積年の課題となっていたのが、後継者不在だった。日本電産の20年3月期の有価証券報告書では、自らのガバナンスリスクとして永守氏が突然、経営から離脱した場合を挙げ、「事業、経営成績、財政状態に悪影響を及ぼす可能性がある」と指摘している。
永守氏はM&Aと同様に外部からの人材獲得を進め、13年にカルソニックカンセイ社長などを経験した呉文精氏を副社長、翌14年にシャープ元社長の片山幹雄氏を最高技術責任者として招くなど、常に後継者候補を模索してきた。
18年6月には日産出身の吉本浩之氏が社長に就任。永守氏は会長兼CEOとして後継者候補の吉本氏を支えながら、主要役員と経営課題を議論する集団指導体制を作ったが、米中貿易摩擦も相まって業績が伸び悩み、吉本氏は期待に応えられなかった。永守氏は後にこの体制を「創業以来の最大の間違いだった」と振り返る。
新たな後継者候補探しを進める中、永守氏が白羽の矢を立てたのが関氏だ。関氏は学生時代に父親が病気がちで、学費の負担がない防衛大に進学。その後、恩師の勧めなどもあって日産に入社した。生産畑を長く経験した技術者出身で海外経験も豊富で、自動車メーカーで培った知見は日本電産が主力事業への成長を目指すEV向けモーターとの相性も良かった。
◆EV向けを主力に
今回のCEO交代で永守氏が経営から手を引くわけではない。代表取締役会長として引き続き経営に携わり「単純な稟議(りんぎ)書の決裁に時間を取られてきたが、今後は会社の将来や事業の展開など本来の経営トップのあるべき姿に重点を移す」と意欲を燃やす。
永守氏は「2030年度に連結売上高10兆円」という目標を掲げ、このうち約4割が今後、急速な普及を見込むEV向けモーターを中心とした車載事業となると見込む。関氏が完全な後継者となるためには、厳しいシェア争いやM&Aを成功させ、EV向けモーターを早期に主力事業へと成長させ、永守氏のお眼鏡にかなうことが必要となる。
流通科学大の長田貴仁特任教授(経営者論)は「精密小型モーターが祖業である日本電産の生え抜きには関氏ほどEVに詳しい後継者候補はおらず、EV向けモーターの成長を目指す中ではライバルが不在で権力闘争も起きにくいだろう。ただ、外部環境が悪化しても経営手腕の評価に温情を見せないのが永守流。関氏が結果を出せなければ、後継者探しが振り出しに戻る可能性はある」と指摘している。(山本考志)