専欄

中国の労働意識 「996、内巻、寝そべり、そして35歳定年」へ

 中国で「996」という言葉が流行したのは、ほんの数年前である。朝9時から夜9時まで週に6日勤務という労働形態は、IT企業をはじめとして、多くの中国企業で一般化しつつあった。しかし最近、その反動ともいえる動きが出始めている。「35歳前の自主定年」、つまり米国発祥の「FIRE(早期リタイア)」である。ここに至るまでには、社会現象にまでなった2つの流行語がある。「内巻」と「タン平学(タンピンがく、タンは漢字で身へんに尚)」だ。内巻とは、非理性的な内部競争で、職場内、学校内、社会生活など、時を選ばずあらゆる所で出現し、社会経験の少ない若者たちをストレスで押しつぶそうとしているものだ。(ノンフィクション作家・青樹明子)

 この内部競争に疲れ果てた後にたどり着くのがタン平学である。タン平とは「横たわる」という意味で、つまり競争社会から離脱し、お金もうけも放棄して、大志も抱かず、欲望もほどほどにして、静かに生きていく。このタン平学こそ「現代の競争社会に対する最大の武器」なのだという。今やタン平学は人生哲学というより、一種の宗教のようだ。35歳前の定年とは、この流れの上で提唱されている。

 しかし35歳前定年を実現させるには、高いハードルがいくつもある。大多数の「普通の人々」には大金持ちの親はなく、一夜にして大金を得るなどという幸運も舞い込まない。「2021胡潤財富自由門檻」によると、お金に困らず優雅に生活するには、地方都市であっても、600万元(約1億260万円)は必要なのだそうだ。年収10万元の若者が60年間必死で貯金しても、達成できるはずのない額である。

 経済上の問題に加えて、自己管理能力の有無もハードルの一つである。新型コロナウイルスの外出自粛で多くの人が悩んだように、家で寝そべる生活もストレスを生む。

 王さん(仮名・女性)はコロナ禍のなかで人生の再考を迫られ、その結果仕事を辞めた。退職後彼女は雲南省でヨガを学び、農村でボランティアに従事し、海南島でのんびりネットサーフィンに明け暮れた。しかし半年も過ぎると迷いが生じてくる。かつての自分のように、必死に働く人たちを傍観者として見ているうちに、自分の有り余る時間が空虚なものに思えてきた。そして彼女はようやく悟る。若者の自主定年は経済基盤だけではなく、精神力がないと不可能だということを。

 996→内巻→寝そべり生活→35歳前定年。中国は2028年までには米国を追い抜き、世界最大の経済大国になるといわれるが、その中核となる30代、40代の苦悩を、われわれは知っておく必要がある。

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