金融

ニクソン・ショック50年、「米国一人横綱からの転機」福田赳夫氏秘書官が語る

 1971年8月15日の「ニクソン・ショック」の背景には圧倒的だった米国の経済力の陰りがあった。当時は経済企画庁に在籍し、福田赳夫経企庁長官(後の首相)の秘書官を務めた長瀬要石氏は産経新聞に対し、中国が台頭する現在の国際社会において日本が多国間協調を訴えるべきだと指摘した。主な一問一答は以下の通り。

 --ニクソン・ショックの背景は

 「米国は1960年代に世界の統治者としていわば三役不在の“一人横綱”の立場だったが、ベトナム戦争の泥沼化と日本や西ドイツの勃興で、世界が日米欧の3極構造に進む転換期にあった。米国は金保有高も半減し、経済政策でなかなかうまくいかない状況に逢着したということだ」

 --日本の反応は

 「ワシントンの日本大使館は、大河原良雄公使がニクソン大統領の発表があるらしいと現地時間の8月15日夜に関係参事官を集めていたが、誰も金とドルの交換停止を言うとは理解していなかった。前蔵相だった福田赳夫外相は円切り上げを予測し、円単独の切り上げにならないよう多国間調整で解決するしかないと認識していた。その福田氏でさえ、発表は不意打ちだった」

 --円切り上げに対する国内の反発は強かった

 「12月の交渉に出席した水田三喜男蔵相は、ニクソン氏が各国当局者の激励に訪れた際、『会いたくない』と別室で秘書官と碁を打っていたという。一方で、羽田空港に到着すると福田邸に駆け込んだ。『1ドル=308円』で日本は大丈夫だろうかと心配でたまらなかったのだろうと思う」

 --ニクソン・ショックの功罪は

 「金ドル本位制は存在価値を失う運命にあり、固定相場制から解き放たれて通貨は自由になった。一定の秩序ある変動相場制は各国の競争力が適度に調整される。ただ、現実には投機や思惑が絡んで激しく動き、経済が為替変動に伴う大きなリスクを背負わされた」

 --円高を乗り越える苦労は相当なものだった

 「福田赳夫政権(76~78年)時代に為替レートは100円近く円高になった。あまり語られないが、ニクソン・ショック後にはバブル崩壊前に匹敵する円高が起き、安定成長軌道に乗ろうとしていた日本経済は大変苦しめられた。福田氏は自ら主宰するつもりでいた79年6月の東京サミットでも、変動相場制の中での秩序ある通貨システムを議題にしたいと考えていた」

 --ニクソン・ショックから50年。中国の台頭で力関係に変化が出てきた

 「中国が国内総生産(GDP)で米国を抜くのは2030年ごろと言われていたが、最近は27年まで早まるとの予測もある。ある程度の期間、中国が米国を凌駕する局面があるかもしれない。いまはかなりくたびれてきた米国という覇権国家に、イデオロギーが異なる中国が挑戦している」

 --日本のとるべき進路は

 「日本が最も重視すべき価値は自由、民主主義、人権であり、日米関係を基軸とする。それでもアジア地域という世界で最も厚みのある生産分業ネットワークに深く身を置き、ここから逃れることはできない。難しいかもしれないが、中国がもっと人類的な価値基準に回帰することで、中国自身も繁栄する。世界も日本も繁栄する。そういうことを訴えていく必要がある」

 --中国は日本の訴えに耳を貸すだろうか

 「ただ訴えるだけでは済まない。日本はこれまで環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など多国間の自由貿易システムの構築に力を発揮してきた。その延長線上で中国をも包含した構想をしっかり描いていく。それが米中のはざまにある日本の生き方ではないか」

 --佐藤栄作首相の後継者は福田氏でなく田中角栄氏だった

 「田中政権のころ、経済企画庁総合開発局総合開発課の総括課長補佐に在籍し、国土総合開発庁(後の国土庁)の構想をはじめ日本列島改造論に関係する仕事をした。ただ、列島改造論はあの時にはやや時代遅れであった。マクロ経済状況のなかでどういうテンポで進めたらいいか、その点の認識が少し不足していたのではないか」

 --執筆陣に加わった「評伝 福田赳夫」(岩波書店)が6月に出版された。福田氏に対する評価は

 「池田勇人元首相や田中氏は、大きな夢を描いて国民の心に火をつけ、時代を引っ張った。それで人々は二人を『すばらしい』と言う。しかし、池田政権退陣後の1965年不況と、田中政権下の物価狂乱という窮地を救ったのは福田氏だった。皆さんがあまり福田氏を評価してこなかったので、そこが福田氏の評伝の一つの役割だと思う」

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