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松山英樹が年間500枚使うグローブの作り手、その職人技 (2/2ページ)

 時代に翻弄されながら

 なぜ、東かがわ市は手袋のまちになったのか。歴史は明治にさかのぼる。

 日本手袋工業組合の代表理事でもあるハシセンの橋本社長が調べたところ、明治19年、白鳥村(現東かがわ市)の千光寺副住職、両児舜礼(ふたごしゅんれい)が15歳年下の19歳の近所の女性と駆け落ちし、21年に大阪でメリヤスの指無し手袋の縫製を始めたのがきっかけのようだ。

 当時衰退していた地元の製塩業従事者らを救済するため、両児の急逝で後を継いだ親類が32年に会社を設立し、地域を挙げて手袋産業に乗り出した。

 1914(大正3)年、第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)で、当時最大の消費国、英国が最大の生産国ドイツと敵対したことで、英国から代替生産国として日本へ大量注文が入り、多くの工場もできた。

 第二次大戦後、高度経済成長期の大量消費社会の中で手袋産業も昭和30年から活況になった。37年に日本手袋工業組合が設立された。現在は県内56社を含む66社だが設立時には加盟248社、下請け550社の規模を誇った。

 46年のドルショック以降は輸出が激減し、内需拡大へ方向転換。高級化やファッション路線、スポーツ用と多様化が進み、カバンやニット製品などにも進出した。平成になると、国内で商品開発や営業活動、海外で生産という国際分業の形が確立する。

 現在は「手袋のまち」として全国的な知名度を上げるためのPR活動や、自社ブランドの立ち上げ、海外販売の模索など、さまざまな挑戦を続ける。時代に翻弄されながらも地域に根付いた産業が、スポーツ界を支える力にもなっている。(和田基宏)

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