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毛布のまちの絶え間ない探求心、技術革新の歴史が支える挑戦 (1/2ページ)

 大阪府泉大津市は、国産毛布の9割を生産する「毛布のまち」だ。中国製などの安価な海外産や、軽くて保温性にも優れた羽毛布団などに押されながらも、肌触りや染色にこだわった上質な毛布を量産し続けている。歴史をひもとけば江戸時代から連綿と続く、繊維の町の技術革新への絶え間ない探求心が、高品質な国産毛布を支えている。(藤谷茂樹)

 風合いを決める職人技

 明治時代中頃の創業という老舗、今新毛織(同市清水町)は、南海本線泉大津駅にも近い住宅地の中に本社工場を構える。

 「織毛布」と呼ばれる伝統的な手法で作る毛布を、織りから染色、起毛、縫製まで一貫して製造する工場に足を踏み入れると、織機がけたたましい音をあげていた。

 縦糸の間を横糸が高速で運ばれると、あっという間に模様が織り上がる。続いて、最も重要な起毛の工程が控える。毛布の保温性を高め、肌触りをよくし、ふんわりとした風合いを出すために必要な作業で、職人が針が並んだ針布をローラーに巻き付けた起毛機で、毛布をけば立たせていく。

 社長の今井基樹さんは「起毛機にかける回数は決まっていない。それを見極めるのが職人の技」と説明する。その日の気温や湿度に合わせて、起毛機に毛布を送り込む早さや回数を判断するのが職人の腕の見せどころ。「60年やってきた熟練工が担当していて、感性、センスの世界。できあがった毛布からきめ細かいものづくりを感じてほしい」と話す。

 素材は羊毛、カシミヤ、シルクなどさまざま。百貨店などで扱う数万円以上の高価格帯商品も多く、希少な毛を使った商品は販売価格が100万円台に跳ね上がることもある。

 一方、「マイヤー毛布」と呼ばれる、基布の上にパイル部分が立ち上がっている毛布を一貫製造しているる森弥毛織(同市寿町)では、独カール・マイヤー社製の編機(あみき)を使って、毛足の長さや編みの密度、風合い加工を創意工夫してきた。高性能な染色技術も特徴で、クリムトの「接吻(せっぷん)」やゴッホの「夜のカフェテラス」などの名画も毛布に浮かび上がらせることができる。

 大阪万博の年にピーク

 泉大津で毛布製造が始まったのは明治20年にさかのぼる。もともと泉大津がある大阪南部の泉州地域は江戸時代まで、全国有数の綿作地として知られ、合わせて綿の織物業も興った。その後、明治に入って輸入毛布が人気を博したことに影響を受け、泉大津では綿織物から毛布生産への切り替えが起きたという。

 紡績屋や織屋、起毛屋など分業制が進んで、泉大津のあちこちに、毛布に関わる工場ができた。第二次世界大戦中は原材料の綿花輸入が制限されるなどして痛手を受けたものの、戦後は朝鮮戦争による特需や、生活必需品としての国内需要も増え、好景気が到来。大阪万博が開催された昭和45年ごろには市内の業者は千を超え、生産量は約3200万枚とピークに達したという。

 「どんどん増えていた国内の毛布需要に応えようと、革新的な機械を導入した企業も多く、大量生産やより手頃な値段の製品の生産を可能にした」と、森弥毛織社長で、日本毛布工業組合(泉大津市)の理事長を務める森口和信さん。戦後の需要拡大が泉大津の毛布の技術革新を推し進めた。

 愛される毛布を

 だが現在、毛布のまちは再び厳しい時代を迎えている。

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