放射線より避難リスクが心配

シリーズ エネルギーを考える

 □東京大学医学部附属病院 放射線科准教授・中川恵一さん

 ■低線量被ばくでがん増えない

 東日本大震災から5年たっても、日本のエネルギー・環境政策が定まらない。安価な電気を安定供給し、地球温暖化対策を前進させる原子力発電所の再稼働への反対も根強い。日本の将来のエネルギーはどうあるべきか。各界の識者、専門家に聞く。

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 --東日本大震災による福島第1原子力発電所の事故から5年が過ぎました。インターネットなどでは放射線に関する情報があふれていますが、国民の間で放射線についての正しい理解が進んだとはいえない状況が続いています。まず、放射線がどのように人体に影響を与えるのか、教えてください

 「放射線を浴びると、細胞の核の中にある、細胞をつくる遺伝子を切断し、傷つけてしまいます。しかし、人間の体には放射線が遺伝子を切断しても、それを修復する仕組みがあります。この遺伝子の切断、修復は日常的に起きていることですが、一瞬で高線量の放射線を浴びた場合には修復しきれないことになります。修復しきれずに、傷が残ってしまった細胞は死んでしまうものなのですが、ごくまれに『死なない細胞』になることがあります。これががん細胞です。ただ、がん細胞の発生は放射線を浴びなくても日常的に起きています。高齢になると、1日数千から数万の単位で『死なない細胞』がいろいろな臓器にできて、免疫細胞がそれを抑制しています。がん細胞は遺伝子の経年劣化といえるもので、高齢化が進む日本では2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんでなくなっています。がんを増やす要因の1つが放射線ですが、たばこや野菜不足など放射線以上のがんリスクは日常生活の中にあふれています」

 --放射線の発がんリスクは小さいということですか

 「その通りです。発がんリスクは放射線の量に比例して発生する確率が高くなると考えられ、年間100ミリシーベルトの被ばくで、がんの発生がわずかに増加することが観察されています。ICRP(国際放射線防護委員会)の報告で、それ以下では『確かな証拠はない』とされているのは、『よく分かりません』ではなく、『増加を検出できないほど増えない』という意味です。日常生活では、受動喫煙でも放射線でいうと100ミリシーベルト、野菜不足で200ミリシーベルトに相当。大量飲酒や喫煙に至っては1500~2000ミリシーベルト相当ですから、放射線100ミリシーベルトの影響は非常に小さいといえます。リスクがあふれている世の中で、リスクの見積もりを間違えば、不利益を被ることになります。例えば、9.11同時テロ後の米国では交通事故死が増えました。飛行機に乗るのが怖くなって、車での移動を選択する人が増えたためです。100ミリシーベルト未満の放射線は検出できないほど影響が小さいのに、それが巨大に見えてしまうと、9.11後の米国と同じことになってしまいます。原子力発電所の事故による福島県民の被ばく量は、最大でも3ミリシーベルト程度です。その水準の被ばくではがんが増えることはないと私は考えており、専門家の意見は一致しています」

 ■専門家信じ冷静な判断を

 --福島の原発事故によるがんの増加はないといえるのはどうしてですか

 「日本人の年間平均被ばく量は、自然被ばく2ミリシーベルト、医療被ばく4ミリシーベルトの計6ミリシーベルトです。これに対し、福島の人たちがどの程度追加被ばくしているのかといいますと、私が月に1度支援に訪れている飯舘村の人たちでも非常に少なく、内部被ばくはゼロ、外部被ばくでも最大3ミリシーベルト程度で、まったく心配する必要のない水準です。むしろ、33万人が避難して7歳短命化したチェルノブイリと同様に避難生活でのストレスによる健康被害の方が問題で、飯舘村の調査データでも、血圧、糖尿、肝機能障害、代謝異常などのすべてが震災前との比較で顕著に悪化しています。糖尿病は膵臓(すいぞう)がんと肝臓がんを2倍に増やすし、がん全体でも2割増やす要因になります。放射線は100ミリシーベルトでがん死亡を0.5%増やします。半分は治るので、発症では1%程度。今後福島でがんの発症が増えるとすれば、長期避難生活による健康被害によるものです。がんを避けようとする避難行為が、逆にがんを増やすという皮肉な結果を招くことになりかねません」

 --子供の甲状腺がんが増えているといわれています

 「福島の子供たちの甲状腺被ばくは、実効線量で最大35ミリシーベルトであり、5歳未満の子供の5%が5000ミリシーベルト超だったチェルノブイリとはまったくけたが違います。また、福島とチェルノブイリとでは、がんの性質も違います。チェルノブイリで一番多い年齢は0~5歳ですが、福島ではこの年齢層には1人もいなく、年齢が高い人に見つかっています。がんができるには、大人だと最低10年程度、チェルノブイリでも5年かかったのに、福島では事故が起きた2011年から見つかっているのは、もともとあったのを拾い出しているからです。遺伝子の変異も違っていて、高齢者なら誰でも持っている遺伝子変異が高校生から見つかっています。しかも、避難地区とほとんど放射線の影響を受けていない会津地区の発見率を比べても同じ程度ですから、自然発生型のがんを見つけているだけです」

 「福島にも反原発の活動家が入っていて、甲状腺がんなど放射線健康被害をあおるような活動をしています。政治信条を持つのは勝手ですが、結果的には住民を不幸にする活動をしていることになります。私はがんの放射線治療をする医師として、放射線を日常的に扱い、31年間で2万5000人の患者を治療してきました。前立腺がんでは8万ミリシーベルトもの放射線を照射するケースもあり、私自身も年間10ミリシーベルト程度の放射線を当たり前のように浴びています。ですから、わがことでもある低線量被ばくについて、自分の体験と臨床経験、そしてさまざまな科学的研究の集積によって、何が起こるか予想できます。ネット上などで『御用学者』と揶揄(やゆ)されても、『正しいと思うことをお話しするしかない』と思っています。医者でもない活動家の話より、専門家であるわれわれの話を信じないと、世の中にあふれているリスクの判断基準を間違え、自分が損をすることになります。『東電がにくい』『国を信じられない』という気持ちも分からないこともないが、ちゃんとした曇らない目で見ないと、自身に不幸を招くことになりかねないと思います」

 --最後に、将来の日本のエネルギーのあり方はどうあるべきとお考えですか

 「私はエネルギーの専門家ではありませんが、医者から見て、長生きするために何が一番重要かといいますと、それは一定水準の所得なんです。やはり、貧困ではがんも多いし、短命です。国レベルでも、国民1人当たりのGDP(国内総生産)と平均寿命は見事に相関します。日本人女性の平均寿命は約87歳で長生き世界一、男性も80歳を超え、日本は世界有数の長寿国です。50歳を超えた1947(昭和22)年以降、急激に平均寿命が延びたのは、日本が豊かな国になったからです。日本人には『清くつつましい方が長生きする』と考える人が多いかもしれませんが、まったく逆なんです。だから、発電するための化石燃料輸入にどんどんお金を使っていたら日本は貧しくなり、それは短命化にもつながります。地球温暖化が進み、異常気象になり、大規模な災害が起きて多くの命が奪われることは仕方ないが、発電時に温室効果ガスを発生しない原発はだめというのはおかしな話です。最近の日本の平均寿命が頭打ちなのも、日本経済の成長が止まったこととかなり関係すると思います。その意味からも、国を豊かにすることが大事であり、安全性が確認された原発は適切に使っていくべきだと思います」(聞き手 神卓己)

 ■放射線と生活習慣の発がんリスク比較

 (発がんリスク/リスク増加率/比較対象者)

 喫煙する男性/1.6倍/喫煙しない男性

 放射線被ばく(1000ミリシーベルト)/1.5倍/被ばくしない人

 大量に飲酒/1.4倍/ときどき飲む

 やせ型男性(BMI14.0~18.9)/1.29倍/標準型男性

 肥満型男性(BMI30.0~39.9)/1.22倍/標準型男性

 運動不足/1.15~1.19倍/運動をよくする人

 放射線被ばく(100~200ミリシーベルト)/1.08倍/被ばくしない人

 野菜不足/1.06倍/野菜をよく食べる人

 夫が喫煙する受動喫煙の女性/1.02~1.03倍/夫が喫煙しない女性

 放射線被ばく(100ミリシーベルト未満)/検出不可能/被ばくしない人

 ※国立がんセンター調べ

 ※BMIは体重/身長の2乗で計算

 ※放射線被ばくは広島、長崎の原爆被ばく者の追跡調査によるデータ

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【プロフィル】中川恵一

 なかがわ・けいいち 1985年東大医学部卒、同医学部放射線医学教室入局。スイスのポール・シェラー研究所客員研究員、東大院医学系研究科生体物理医学専攻放射線講座講師などを経て、2002年から現職。05年緩和ケア診療部長を兼務。医学博士。著書は、『ビジュアル版がんの教科書』(三省堂)、『放射線医が語る福島で起こっている本当のこと』(KKベストセラーズ)、『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』(同)など多数。1960年東京生まれ。