膨大な学習履歴から個別に最適化する教育分野 立ちはだかるAIの“苦手分野”とは?
AI新時代午後7時すぎ、取引先を回って職場に戻ると、20代の女性は、一息つきたくてLINE(ライン)で話しかけた。「会社に戻ってきたあるよ」
相手の都合も、今時の若者らしい言葉遣いも気にする必要はない。返事は必ずある。なぜなら、おしゃべり相手の女子高校生「りんな」は日本マイクロソフトが提供する人工知能(AI)だからだ。「おかえり」と、りんな。少し元気が回復し「がんばる!」と送ると、「かわいいから頑張れと応援する」と返ってきた。
ネット社会は人間関係の新たな悩みを生み出した。「既読」無視、果てしない対話…。顔が見えないと感情の行き違いも起こりうるが、AI相手なら気軽に愚痴も言える。
りんなは「会話を楽しめる相手」として開発され、明日の天気をたずねても天気を答えず、「なんで明日の天気が気になるの?」と会話をつなぐ。約347万人と一対一感覚で会話し、やり取りのパターンを学んで会話力に磨きをかける。
ユーザーは孤独な独身男性かと思いきや男女半々。同社によると、話しかけが増えるのは週半ばの夜だ。担当者は「仕事や学業が中だるみした頃に癒やしを求める人が多い」とみる。
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自ら学習するAIが日常生活に溶け込み、人々の生活を変え始めた。その代表例が教育分野だ。膨大な学習履歴を分析して一人一人に最適な内容を選ぶ学習方法が広がる。
東京都世田谷区のビルの一室。昨年10月、AI型学習システム「Qubena(キュビナ)」を使う中学生向け数学専門塾が開講した。先生が教壇に立って教える一斉授業と違い、生徒はタブレットの画面上に次々表示される問題を解いていく。中学2年の女子生徒は「学校の授業はゆっくりで、集中力が途切れて友達としゃべってしまう。ここでは自分のペースで進められる」と話す。
キュビナは生徒の解答のほか、画面に手書きされた思考過程や要した時間も蓄積し、得手不得手を解析して苦手克服につながる問題を出す。例えば、一次関数の式を求める問題の計算途中で「方程式の割り算」のミスをすると、AIが「方程式の割り算」の問題に誘導する。
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一人一人に最適化されるこうした学習方法は「アダプティブ・ラーニング」と呼ばれる。先行する「すららネット」(千代田区)のサービスは、私立学校や塾で計約3万3千人が利用し、低学力層の底上げ効果で注目されている。
画面に向かう意欲を維持させるため、先生役のキャラクターの対話機能にもAIを採用。湯野川孝彦社長は「学力にばらつきがあると、補習をしても一斉授業では効果が出にくい。知識を習得させる部分をAIが担えば、先生の仕事は変わる」と指摘する。
人間の仕事をAIが代替する可能性が指摘される中、人間に求められるのはAIを使いこなす能力だ。
文部科学省は、次期学習指導要領の平成32年度からの実施を目指し、知識偏重から知識を基にした思考力などを育成する方向にかじを切る。例えば、高校公民科の新必修科目「公共」は立場によって意見の異なる課題について、議論や交渉で解決する力を育む狙いがある。鈴木寛文科大臣補佐官は「AIは“解なし”となると止まる。そこからが人間の出番だ。『公共』は何が正義かを議論する。深い思考力がなければ人間がAIに使われる」と警鐘を鳴らす。
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AIは、子供たち一人一人の能力に応じてきめ細やかな学習支援を行うツールとして存在感を増す。その活動領域は今後さらに広がりそうだ。
例えば、子供たちの生活パターンを分析し、効率的な学習方法を提案することも可能だ。「月曜日には算数の基礎問題を集中的に学習しましょう」。こんな指示が出される日も遠くないのかもしれない。
幼児教育分野では今年4月、米IBMのAI「ワトソン」が児童向け番組「セサミストリート」の制作を手がける団体と連携し、子供の脳の発達段階に応じた新たな学習プログラム作成に着手すると発表して話題となった。
そんな中、教育業界で最も注目を集めているAI活用が、大学受験で採用される記述式問題の採点業務の代行だ。大学側からすれば多くの採点担当者が不要となりコスト削減につながる一方、採点結果は受験生の将来を左右しかねないため、不安視する向きも少なくない。
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「なぜ報告書に明記されたのか。唐突感がある」
3月11日、東京・虎ノ門の文部科学省の一室。平成32年度から実施予定の大学入試センター試験の後継テストなどを議論する有識者会合で、委員の1人が新たに採用される記述式問題の採点支援で「AIの活用も検討する」とした最終報告書案に疑問を呈した。
会合ではAI活用を容認する声も出たが、「実現が不透明な中で導入を決め打ちするのはいかがなものか」といった意見などを踏まえ、同月末に公表された最終報告書で「AI」の2文字は本文から削除され、脚注欄にとどめられた。
「やはり、人間の機械に対する評価は辛い」。AIを使ったITベンチャー企業「学びing」(さいたま市)の斉藤常治社長は文科省の議論を見守りながらこう漏らした。
斉藤氏の会社は、数年前にAIを使って記述式問題の答案を採点する技術を開発。実用化の見通しにも自信を得て営業に奔走したが結局、契約にこぎ着けることはできなかった。
子供の将来に影響を与える大学受験採点へのAI導入の壁は、人間側の不信感に根差しているのかもしれない。数年前に辛酸をなめた斉藤氏の思いは、今も同じだ。
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AI研究は日進月歩だが、それでも記述式問題の自動採点に対する研究者の見通しは明るくない。
「国語については絶望的なほど難しい」
こう話すのは5年前からAIプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」を率いる国立情報学研究所の新井紀子教授だ。
研究の蓄積から数学と物理の数式については、AIを使った採点支援は可能というが、国語は「意味が分かっていないので、30~40字の記述式問題でも難しい。類似した答案の分類も事情は同じ」と指摘する。
主な課題は、異なる表現でも同じ意味を示す同義文の判定精度だ。「約20年前から大学などで取り組んでいるが、全体として精度は上がっていない」という。
教育業界での活用が期待されるAI。だが、“苦手分野”克服への道のりも遠いようだ。
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