タイ、軍政の行方占う陸軍司令官人事 9月に定年退官、後継争い激化

 
タイ王国陸軍のティーラチャイ司令官(前列左)と次期司令官と目されるピシット参謀総長(同右)=タイ王国陸軍提供

 軍事政権下で秒読み段階に入ったタイ新憲法案の国民投票。市場調査や国民の意識調査などを行う独立系のタイ国家開発管理研究所(NIDA機関)の7月調査で、8月7日の投票日を前に6割の国民が賛否をまだ決められないでいるなど、有効性そのものが危ぶまれる。加えて、ここにきてもう一つの「難問」にも関心が集まっている。軍政最大の後ろ盾、タイ王国陸軍の軍司令官後継人事だ。現職のティーラチャイ・ナークワーニット司令官は国民投票翌月の9月に定年退官を迎えることが決まっており、その後釜に誰が座るのかをめぐって水面下で駆け引きが激しくなっている。

 ◆不正疑惑で首相批判

 「順当ならば、東方のトラ派に属する参謀総長のピシット・シッティサーン陸軍大将の昇任で決まりだが、ラーチャパック公園問題があるので不透明だ。プラユット首相も相当に頭を悩ましている」。こう話すのは、ウドムデート・シータブット前陸軍司令官(現国防副大臣)側近の元秘書官。

 ラーチャパック公園問題とは、バンコクから南西に約200キロ、王室保養地で有名なフアヒンの陸軍保有地に敷地面積約35万平方メートルの公園をつくり、スコータイ王朝以降の歴史上功績があったとされる7人の国王の立像を建設し、王室の偉業を顕彰しようとした事業をめぐる「疑惑」のことを指す。昨年8月の完成を迎えたころ、建設の過程で不正があったとの指摘が浮上。事業の責任者だったウドムデート司令官(当時)とプラユット首相が批判の矢面に立たされる場面があった。

 民間から寄付金名目で募った建設資金の一部が鋳造会社を経由して陸軍に渡ったと指摘され、当初は政権へのダメージが懸念された。だが、明確な証拠もないことから、軍政が力でふさぎ込み、以後は話題に上ることがほとんどなかった。ところが、陸軍司令官後継人事の時期が差し迫ってきた最近になって、にわかに政権や軍内部からこの問題を蒸し返す声が上がるようになり、新憲法案をめぐる国民投票の行方とともにピリピリしたムードに包まれている。

 タイ王国陸軍では2000年を迎えるころまで首都防衛を担う第1師団出身者が最大派閥「テーワン派」を形成し、にらみをきかせてきた。新たに台頭してきたのが、第2歩兵師団出身者を中心とした「東方のトラ派」で、現軍政を側面から支えるプラウィット副首相兼国防相がその祖とされている。以降、タクシン元首相をクーデターで追放したソンティ司令官を除いて同派出身者が歴代司令官を独占している。

 年功序列意識が日本以上に強いタイで、目下のところ東方のトラ派に属するピシット参謀総長が10月に司令官に昇格する人事が順当とされる。だが、軍政が継続し権力が集中すればするほど、陸軍内には反発の声も広がりを見せ始めている。中心人物として、ウドムデート前司令官とポストを争って敗れたパイブーン・クムチャーヤー法務大臣(元陸軍司令官補)や、ピシット参謀総長の後年次の現司令官補チャルーム・シッティサート陸軍大将らの名が挙がっている。

 ◆政権不安の可能性も

 陸軍内の人事に軍政が神経質になるのも、歴史上、人事を契機に内紛やカウンター・クーデターの発生が少なくなかったためだ。

 実動部隊を持ち、組織系統では上位にある国軍司令部をも凌駕(りょうが)するタイ王国陸軍だが、内実は一枚岩ではない。立憲革命の流れを引くピン・チュンハワン元帥が率いた最大派閥ラチャクルー派が、サリット司令官(当時、以下同)のクーデターによって中枢を追われたケースもある。1980年代に司令官のまま政権を担ったプレーム首相(現枢密院議長)の場合も同様で、8年間の長期政権の後に陸軍内の抵抗や王室の難色などで退任を余儀なくされた。後任に就いたのは、かつてのラチャクルー派を率いたピン元帥の長男チャートチャーイ民族党党首だった。

 プラユット首相は「仮に新憲法案が否決されても来年中の総選挙は必ず実施する」と言明している。だが、そのためには事実上の勅令に等しい暫定憲法44条(非常大権)を発動するほかに道は少なく、政権不安を引き起こす可能性さえある。ましてや、司令官人事と時期が重なればなおのことだ。

 軍政は投票日の直前まで国民に対する啓蒙(けいもう)活動を続けるとする。一方で、水面下では各派のバランスを考慮に入れた陸軍人事を遂行しなければならない。もう一つの「難問」が思わぬ波紋とならぬよう、プラユット首相の手腕が問われている。(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)