震災地の「記憶」遺構 伝承が新たな地域振興を促す
高論卓説福島沖地震が11月下旬に発生して東北・太平洋沿岸を津波が襲い、東日本大震災の被災地は5年前の衝撃がよみがえった。東北大学の研究チームによれば、宮城県東松島市の漁港では津波の高さは、平常の海面よりも3メートルも上回って、漁港の地面からは2.2メートルに達していた。
宮城県仙台市と石巻市を結ぶ仙石線に乗って、東松島市の野蒜(のびる)駅に降り立ったのは、この地震の10日前のことである。
東日本大震災の津波によって、仙石線が大きく分断されたのは、名勝・松島を望むように海岸を走っていた矢本駅(東松島市)-松島海岸駅(松島町)間であった。
仙石線が全線復旧したのは2015年5月。復旧区間は内陸部に400メートルから500メートル入り込むように線が敷かれ、野蒜駅も高台に移転した。旧野蒜駅とプラットホームなど、その周辺は震災遺構として保存が決まっている。私が目指したのは、旧野蒜駅舎を利用して一足先に今年10月にオープンした「震災復興伝承館」である。
新駅と旧駅がある市街地とは、地下通路を通じて結ばれる予定だったが、未完成のために訪問当時は大きく迂回(うかい)する坂道を30分以上も下った。
旧駅に着いた。改札口の壁の上部に、津波が達した3.7メートルの赤い線が引かれている。「伝承館」には、東松島市の歴史や震災の状況、復興の歩みを示す解説の写真や、巨大地震が発生した瞬間に止まったままの小学校の大時計などが並んでいる。
震災地の「記憶」遺構の先には、新しい町を築き上げようという息吹がある。東松島市は震災後のがれき処理において、市役所と建設業者などが当初から協議して、金属や木製のがれきを分別して、収集した。その結果、全量約110トンの約99%をリサイクルに成功するとともに、がれき1トン当たりの処理費用が格段に安くなった。
この経験の延長線上に「防災エコタウン」作りが進んでいる。地域の病院や集会所などを対象にして、太陽光発電などを活用してエネルギーの「地産地消」を図ろうという試みだ。小学校の再建にあたって、木造建築を目指すだけではなく周囲に森林地帯を作ろうというプロジェクトも進んでいる。
仙台市の地下鉄東西線の終点である荒井駅には、2月に開業した「せんだい3.11メモリアル交流館」がある。仙台平野を襲った巨大津波は、この駅がある荒浜地区において沿岸と内陸部と分けるようにして構築されていた、バイパスがせきの役割を果たした。「交流館」には津波が襲って跡形もなくなった、沿岸部の記憶を残そうと手作りのジオラマがある。「鈴木さんの家」「玉ネギ畑」などと手書きの小さな印が立っている。
荒浜地区は漁業の町でもあった。赤貝やナマコ、ワタリガニの宝庫である。漁師として再び海に向かう人々のインタビューが、大型映像装置から静かに流れていた。
震災地は「記憶」をとどめながら、新たな地域振興に歩み出している。
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【プロフィル】田部康喜
たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。東北大法卒。ソフトバンク広報室長などを経て現職。62歳。福島県出身。
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