堂島ホテルが閉館、北新地の社交場32年…運営会社5回も変転、建物も老朽化
大阪・キタの社交場として親しまれた堂島ホテル(大阪市北区)が27日夜の宴会利用と館内レストランのディナー営業をもって、閉館を迎える。歓楽街の北新地にも近く、しゃれた雰囲気で人気を集めたが、運営会社が5度も交代するなど経営が迷走。建物の老朽化も進んだことから、32年の歴史に幕を閉じることになった。(田村慶子)
「開業時はこんなに洗練されたホテルが大阪にできたかと驚いたものだ」。兵庫県芦屋市で不動産業界団体の代表を務める男性(79)は堂島ホテルのバーに足しげく通った日を思い出し、閉館を惜しんだ。
堂島ホテルは、バブル景気が近づきつつあった昭和59年、高級飲食店が立ち並ぶ歓楽街の北新地からほど近い立地で開業。石造りの外観にアンティーク風の調度品は欧米のブティックホテルを思わせ、同業者も驚かせた。開業から10年後の平成6年には大規模な増改築とともにインターナショナル堂島ホテルに改称し、客室の内装も豪華にすることで「いつかは泊まりたい憧れのホテル」として定着していった。
ただ、改装費などの借入金が足かせとなり、経営母体の日本都市企画(大阪市)が11年に約580億円もの巨額負債を抱えて倒産した。所有者や運営者、名称が変転した後、食肉卸のシンワオックス(大阪市、現アスモ)が18年に運営権を取得。再び堂島ホテルに改称し、芸術家らが暮らす米ニューヨークのロフト風に仕上げ、現在の若者向けのホテルに一新された。
しかし、戦略転換は裏目に出て富裕層の客が減少。関係者によると、改修を重ねる中で建物本体の老朽化が進んでいたにもかかわらず、水回りや空調部分は費用や時間がかかるため、見栄え重視の改装で済まされていたという。昨年11月に同ホテルの実質的な所有者となったウェルス・マネジメント(東京)が、高額な修繕費を理由に閉鎖を決めた。
毎月の会合に利用していた大阪府中小企業家同友会の役員は「建物はすばらしく、料理もおいしかった。北新地に近いのは最高の立地だ」。同ホテルの隣に本社があり、記者会見やパーティーを頻繁に開催していたサントリーホールディングスの幹部も「残念でならない」と話す。
同ホテルによると、閉館が決まって以降、惜しむ客らが相次いで訪れ、11~12月の客室稼働率は9割で推移。26日の最終宿泊もほぼ満室だったという。13年勤めてきたという営業部宴会ブライダル課の岡本周作支配人(39)は「先輩や同僚、お客さんとの巡り会いに感謝している」と振り返り、運営会社の山元貫司社長は「最後の社長を務められて光栄だった。もう一度再生できたとしたら100年続くホテルになると思う」と話した。
閉館後の施設の今後は明らかにされていないが、歓楽街に近い好立地だけに、外資ホテルチェーンや、歴史的建造物をホテルに改装する案件を得意とする企業などが運営権取得を検討しているともされる。
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