スキージャンプW杯50勝リーチの“常勝”高梨沙羅 立ちふさがる「ソチ4位」の重圧
スポーツi.ノルディックスキー・ジャンプ女子ワールドカップ(W杯)個人通算49勝の高梨沙羅(クラレ)は札幌(14、15日)、蔵王(20、21日)で行われた4試合で勝ち星をあげられず、節目の50勝目は持ち越しとなった。
「テレマーク(着地の際に片足を前に出して膝を深く折った姿勢)を入れられなかった。見守ってくれたファンの前で勝てなくて残念です」。ジャンプ台に臨めば、常に勝利を求められ、今回は地元開催での達成という期待もあった。それだけに、20歳の第一人者は反省しきりだった。
50勝は通過点で、次の目標はW杯の史上最多勝利記録で男子のグレゴア・シュリーレンツァウアー(オーストリア)が持つ「53」。今シーズン中の記録更新の可能性は十分にある。
◆背負わされた重圧
トップアスリートはレベルアップを目指す向上心を失ったら、戦いの場から去るときである。闘争心、克己の精神をもとに、さまざまなプレッシャーをはねのけて頂点に立とうする。
高梨は、2014年2月のソチ冬季五輪日本選手団の中で、金メダリスト大本命と脚光を浴びながら、当時17歳の少女は4位にとどまった。
「最初に頭に浮かんだのは感謝という言葉。たくさんの人たちに応援していただいた。でもベストを尽くすことができず、結果も残せず、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです」
3年が経過しようとしているにもかかわらず、帰国したときの言葉が脳裏から離れない。
1984年ロサンゼルス五輪女子200メートル平泳ぎで、同じく4位になった長崎宏子さんを思いだした。16歳(当時)の少女は「水泳ニッポン」復活の期待を一身に背負わされた。
3姉妹の母親となった長崎さんはソチ五輪の期間中に連絡を入れると、次のようなコメントを寄せてくれた。
「娘たちが『沙羅ちゃん、(写真で見た)ロスの時のママの顔に似てる』と言うんです。それもあって、応援していました。だから、涙が止まらなくて」
冬夏の違いがあるとはいえ、オリンピアンとして30年前の自分と重なり、高梨と同じ世代の子供を持つ母親でもあるだけに、涙腺が緩むことを抑えきれなかった。
スイミングスクールの指導へ行くと、中年の男性に声をかけられた。
「先生がオリンピックに出たとき何歳でしたか」
「16歳です」
「4位でしたよね。今、日本中で沙羅ちゃんの気持ちが分かるのは先生しかいないんじゃないかな」
まさにその通り。この中年男性が指摘するように、長崎さんに遠くて近い表彰台について聞いてみた。
◆逆境に打ち勝つ強さ
「世界の頂点を目指すアスリートに大人も子供もないと言いたいですが、このシチュエーションだけは違います。大人なら、うまくスルーできる。逆境に打ち勝つ強さを身につけていますから」
ロサンゼルス大会のとき、長崎さんは泣きやむことができず、やっと絞り出した言葉は「ごめんなさい」だった。
「私はこのまま生きていていいですか、競技を続けてもいいですか、再びがっかりさせるかもしれませんよ-。そういう思いでした」
結果に向き合うのは高梨自身のみだが、温かく見守ってくれる人々がいるから、けして孤独ではないという。
「4位を乗り越えるには、次のオリンピックでメダリストになる以外に道はありません。もし、彼女に言葉をかけるとしたら『大丈夫だから』かな。そして、強く、しっかり抱き締めてあげたい」
2月にはラハティ(フィンランド)で世界選手権が開催され、その1年後には韓国・平昌五輪である。
五輪メダリストは語り継がれ、あと一歩、わずかの差でも4位に甘んじた選手は忘れられていく。もちろん、メダル至上主義に陥ってはならないが、厳しい現実がある。
「今度こそ」と、高梨には再び金メダルが期待される。ジャンプという種目は実力があっても、その時の天候に左右され、4年間の努力が一瞬で消えてしまうケースさえある。
日本のエースは平昌の風を味方につけられるだろうか。(津田俊樹)
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