ゲノム編集 人類が生物進化の創造主に 産経新聞論説委員・長辻象平
視点日本国際賞の今年の生命科学分野の受賞者に「ゲノム編集」の最新技術「クリスパー・キャス9」を開発した2人の女性研究者が決まった。
独マックス・プランク感染生物学研究所長のエマニュエル・シャルパンティエさんと米カリフォルニア大バークレー校教授のジェニファー・ダウドナさんだ。
ゲノム編集は、生命の設計図にあたるDNAの遺伝情報を迅速、確実に書き換える技術として脚光を浴びている。今年のノーベル賞の可能性もあるだろう。
「遺伝子組み換え」と似ているが、組み換えは植物に動物の遺伝子を入れるなど外部の遺伝子を挿入するのに対し、ゲノム編集は目標の遺伝子の削除に主眼を置いていることが基本的な相違点だ。
最大の相違は効率だろう。遺伝子組み換えでは青いバラの作出に十数年を要したように、時間がかかったり、思うような効果が現れなかったりすることが多かった。
ゲノム編集を使えば、そうした改変にかかる期間を大幅に短縮できるのだ。この時間の差が決定的な意味を持つ。
交配や放射線照射による突然変異を利用する品種改良とは次元が異なる。弓矢とミサイルほどの差があろう。病気の治療など医学分野においても、遺伝子組み換えを圧倒することは確実だ。
■
人類は、ゲノム編集によって新たな生物進化の創造主になったのだ。
クリスパー・キャス9は、DNAの塩基配列を切る酵素(キャス9)を、切りたい位置に誘導するRNAとセットにした技術。精度の高さだけでなく、安価で操作が容易であることも特徴だ。医学から生態学まで、生物が関わるあらゆる分野で、応用研究がビッグ・バンのように拡大、加速する。遺伝子組み換え技術が発達したのは1970年代。ヒトのインスリンを大腸菌に作らせることができるようになった一方で、大豆などの組み換え作物も出現した。
第1世代のゲノム編集技術「ZFN(ジンク・フィンガー・ヌクレアーゼ)」が開発されたのは、90年代のことだった。
2010年ごろ、第2世代のゲノム編集技術「TALEN(ターレン)」が出現。第3世代のクリスパー・キャス9の論文が発表されたのは、それから間もない2012年だった。
第1、第2世代の技術習得には熟練を要したが、性能が格段に向上したクリスパー・キャス9は、基礎的な遺伝子工学の知識があれば扱えるということだ。
■
すでに日本でも応用研究が進んでいる。肉量の多いマダイの開発を目指す取り組みもその一例だ。魚類や哺乳類が持つミオスタチンという遺伝子には筋肉の過剰を抑制する機能があるのだが、受精卵にゲノム編集を施すと筋肉の発達した可食部の多いマダイに育つのだ。
大学だけではない。内閣府も14年に立ち上げた「戦略的イノベーション創造プログラム」の中でゲノム編集技術活用の工程表を組んでいる。挙げられている品目は、超多収性の稲、1年で実のなる果樹類、おとなしくていけすに衝突しないクロマグロなどだ。
このほか、国産ゲノム編集技術を開発し、画期的な性質を持つトマトやジャガイモの新品種を作出したい考えだ。
■
ゲノム編集によって品種改良は、従来とは異質の新ステージに突入した。人工知能(AI)と並んで、人類の将来を大きく変え得るテクノロジーである。利便性の高さとともにリスクも底なしだ。
ヒトの受精卵からミオスタチン遺伝子を削除すれば、怪力のオリンピック選手の誕生につながろう。そうした利用は論外だが、中国では15年に医学研究目的としてヒトの受精卵にゲノム編集が行われた例がある。人類の自制心は、いつまで誘惑に抗し続けることができるのか-。
ここまで書いた翌日の14日、米科学アカデミーから、受精卵などにゲノム編集を施した子供の誕生を容認する旨の報告書が発表された。遺伝病の治療目的に限るとしているが、早くも解禁宣言である。後は際限がないのが世の常だ。
関連記事