比の防災意識、次世代につなぐ「ジャイカ」さん 日本の台風禍事業支援に感謝
1991年の大型台風で数千人の死者が出たフィリピン中部レイテ島オルモック。国際協力機構(JICA)などの協力で治水対策を進め、2013年の大型台風での犠牲者は38人だった。支援への感謝から娘を「ジャイカ」と名付けた住民も。台風禍を経て、防災意識を次世代に引き継ごうとしている。
91年11月、台風25号がオルモックを襲い、中心部を流れる2つの川が氾濫、多くの人が泥流に巻き込まれた。JICAの洪水対策専門家を務めた国土交通省の室永武司さんによると、暴風雨で山から押し流されてきた大量の木が橋でせき止められ、天然のダムに。上流からの水がたまり崩壊、爆発的な勢いで泥や水、木が市街地に流れ込み、甚大な被害を受けた。
被災後、JICAや関係機関が支援に乗り出した。天然ダム決壊が被害を大きくした教訓から、流木はせき止め、水だけを流す「くし形」のダムを川の上流に設置した。市街地の河川敷には堤防やフェンス、街灯を設けた。多くの命をのみ込んだ川の周辺は憩いの場にもなっていった。
工事の指揮を執った建設技研インターナショナル(東京都)の賀来衆治さんは「一筋縄ではいかなかった」と振り返る。工事中、第二次大戦時の不発弾が出てきたり、旧日本軍が隠したとされる「山下財宝」を日本人が探していると勘違いした住民に監視されたり。用地取得や住民の移転説得にも苦労しつつ、01年に工事が完了した。
成果が表れたのは13年11月、台風30号が来襲したときだ。レイテ島の最大都市タクロバンを中心に大きな被害をもたらし、同国での死者は6300人に上ったが、オルモックでは38人だった。
工事が進行中の00年、オルモックで1人の女の子が生を受けた。公共事業道路省に勤める父親、ナルシーソ・ドゥマランさんは、JICAなどの支援で着々進む工事を見て、その子をジャイカと名付けた。「支援事業に感謝したんだ。世界で唯一の名前だろうね」
ジャイカさんは16歳。名前の由来を理解したのは13歳の時だったといい「私たちの町を守ってくれた日本の組織と同じ名前なんて驚いた。でもすぐに誇らしく思った」と笑う。
災害の事後対策に予算を投入する自治体が多い中、オルモックはダムなどの維持費を一般会計に計上、普段から災害に備えている。賀来さんは「防災は対策も教育も息長く続ける必要がある。防災意識をジャイカさんのような次世代につなげたい」と強調した。(オルモック 共同)
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