国を信じて「クニ」には不信 日本人は「子」を叱り育てる「親」であれ

高論卓説

 中国・成都(イトーヨーカ堂)での日本の地域の逸品の展開支援準備、3年続いている日中リーダー会議のサポートなどを通じ、最近、中国人と交流する機会が多い。彼らと接する度に痛感するのが、国への信頼の彼我の違いだ。

 先日上海で、日本人出張者数人と現地中国人数人で楽しく飲み会をして、さあ、お会計となった。中国人側は皆スマートフォンを取り出し、幹事に「微信支付(ウィーチャットペイ)」か何かで負担額を即座に送金し、日本人側は幹事に「500元ね」としわくちゃのお札を渡していた。中国でこんなに短期間に金融とITを融合した「フィンテック」が普及した理由は、国への信頼がないからではないか、という仮説に行きあたる。

 現金もきれいで、治安も良く、財布を落としても戻ってくることが少なくないわが国では、お金を持ち歩くことへの抵抗があまりない。皮肉だが、日本国という既存のシステム全体への信頼が高いため、スマホ決済への移行が遅い。不便がないので当然だ。中国はその真逆、というわけだ。

 「国」という語を用いたが、「クニ」という語は、より限定的に「政府」という意味で使うことも多い。中国ではよく「上(政府)に政策あらば、下(民衆)に対策あり」という表現を聞く。中国人は、表面上は政府に従うが、その実、自立心が旺盛で、唯々諾々とはならない。

 日本人はどうか。政府と国民の間柄は、まるで親と子だ。中国同様に基本的に政府に従うが、国民が「子供」であるため、反抗期になるとマスコミを先頭に、どうでも良いことで駄々をこねてひっくり返る。自立心もなく建設的提案もない。

 当たり前だが、民主主義・国民主権の下では、本来、「国民が親で、政府は子」である。「政府が親」の中国とは違う。「子たる政府」が救いがたい悪事を働いたため、親として見捨てるならともかく、加計学園問題を見ていると、いわば「鉛筆一本盗んだ」だけで、マスコミにあおられて大騒ぎをしている。

 私に言わせれば、事の本質は、規制を墨守する文部科学省と規制を突破しようとする特区担当との争いであり、議論に負けた側(文科省)の一部が、マスコミを利用して醜く騒いでいる。政権中枢側は、矮小(わいしょう)化しようとして元次官の醜聞を流す対応をしたり、文書管理が甘かったり、という意味で「鉛筆一本盗んだ」くらいの罪はあるが、更正できないレベルでは全然ない。

 むしろ、森友学園問題の方は、なぜ巨額の値引きをしたかのプロセスが見えず、財務局内部の闇を表に出すべきだという点で、しっかりとした対応が必要だと思う。だが本来、「親」としては、日欧経済連携協定(EPA)の対応、北朝鮮問題への対応など、より国益に直結する話について「子」を見守り、叱るのが筋だ。もちろん、代わりの「子」が今より良いか否かを冷徹に見る視線も重要だ。

 「国に何をしてもらうかではなく、自分が国に何をできるかを問え」と喝破したのは米国のケネディ大統領だが、「国民が親となり、子としての政府をどう育てるかを考えよう」と唱えるのは、昨今のマスコミや国民のレベルを見ていると無理筋に思えて、暗澹(あんたん)とした気分になる。

【プロフィル】朝比奈一郎

 あさひな・いちろう 青山社中筆頭代表・CEO。東大法卒。ハーバード大学行政大学院修了。1997年通商産業省(現経済産業省)。プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)代表として霞が関改革を提言。経産省退職後、2010年に青山社中を設立し、若手リーダーの育成や国・地域の政策作りに従事。ビジネス・ブレークスルー大学大学院客員教授。44歳。