幻の名刀「薬研藤四郎」現代に蘇る 刀鍛冶の水木良光さん
動画あり本能寺の変で織田信長とともに焼失したなどと伝えられている幻の名刀「薬研藤四郎」(やげんとうしろう)が現代に蘇り、刀剣ファンや歴史マニアの間で話題になっている。(WEB編集チーム 高原大観)
名刀を復活させたのは刀鍛冶の水木良光さん(34)。昨年の冬に「薬研藤四郎を現代に蘇らせてほしい」と依頼が来たのがきっかけだった。
水木さんは刀匠の名門である吉原一門に師事。米メトロポリタン美術館に作品が展示されるなど海外でも評価が高い東京都無形文化財保持者の吉原義人(よしんど)、葛飾区指定無形文化財の吉原義一(よしかず)の両氏から指導を受けた。
名刀「薬研藤四郎」は鎌倉時代に山城(京都)で粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)=通称・藤四郎=によってつくられた短刀で、長さは八寸三分(約25センチ)。最初の持ち主は諸説あるが、室町時代の守護大名・畠山政長との説が有力だ。
政長が戦に負けて切腹しようとしたときにどうしても腹に刺さらず、思わず投げ出したところ近くにあった薬研(中に薬種を入れ、細かくひくための器)を深々と貫いたところからその名がついたと思われている。
「切れ味は鋭いが主君を傷つけない主君思いの刀」と評判になり、足利将軍家を初め、松永弾正や織田信長といった武将が所有した。信長とともに本能寺で焼け落ちたとも、信長の後は豊臣秀吉を経て徳川将軍家が所持したとも言われているが、現代にいたるまで確かな消息はわかっていない。
刀剣界には「写し」と呼ばれる技法がある。これは手本となる刀(本科)をもとに寸法などを手本に忠実に再現するものだ。刀身に別の刀の持ち手の部分を溶接して有名な刀匠の作品に見せかけるなど手口が悪質な「贋作」とは異なり、「写し」は純粋に作品としての再現を目標にする。刀鍛冶になってまだ約6年という水木さんにとって、名刀「薬研藤四郎」は初めて挑む「写し」だった。販売価格は非公表とのこと。
「薬研藤四郎」の絵図が描かれた「太閤御物刀絵図」をもとに、刀の長さや幅などを割り出し、絵図通りに作刀した。
吉光が鍛えた藤四郎シリーズは刀身に彫刻などが彫られることも多いが、名刀「薬研藤四郎」は飾り気がない。「何も彫らなくとも元々が美しいからあえて何も彫らなかったのでは。鍛錬された鋼の素材そのものが持つ美しさを出すよう心がけた」と水木さん。
薬研藤四郎の刃の模様は直刃で小板目肌。鍛錬や焼き入れなどの行程では微妙な力加減や刀身を冷やすタイミングなどが重要であり、少しでも誤ると焼き入れの後に水で冷やしたときにひび割れが入るなどして失敗してしまうという。
「薬研藤四郎」は人気オンラインゲーム「刀剣乱舞」に登場したことからその“復活”は刀剣ファンや歴史マニアの枠を超えて注目されている。インターネット上では「おかえりなさい薬研!」「平成の世に蘇らせていただいてありがとうございます」などのコメントが寄せられている。
水木さんには新たな名刀復活の注文も来ているという。一躍注目の刀鍛冶となった水木さんは「持っている人の心に心強さを与える刀を今後もうっていきたい」と話していた。
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