美的要素をコアにおくコミュニティー レッジョ・エミリア教育が導く世界

 

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 この連載で何度かレッジョ・エミリア教育について書いている。イタリア北部の17万人の街で実践されている乳幼児教育であり、世界各国30数カ所に拠点がある。100以上の国に普及している。

 数週間前、レッジョ・エミリア教育の国際センターを訪れ、幼児学校と生徒たちの作品展示を見学した際の心の波動がまだ消えない。

 大きなテーブルにあらゆる筆記用具が揃っている。鉛筆、クレヨン、マーカー…もちろん色も豊富だ。それらが整然と並んでいる。そしてもう一つ、別の大きなテーブルの上には、それぞれ異なった質とサイズの紙が、これまたきれいに並んでいる。

 同校の教育は、子どもに道具を選択させるところからスタートする。ある子どもは黒のペンと黒い紙をとる。そこに木々を描く。

「これは夜の森だ」と子どもは説明する。

 とても強烈な世界観で、「はあい、青いクレヨンで空を描きましょう!」では出てこない発想だ。

 よく自由な表現をさせるというが、先生が道具を決めるところで既に子どもの感じ方に縛りを与えていることになる。道具の種類を十分に用意すると子どもの感じる力も全開になる、というわけだ。

 弘法は筆を選ばず、という言葉がある。道具の不出来を自分の書の拙さの弁解に使うな、という意味だ。が、この言葉を幼児教育における道具の選択に適用してはいけない。

 レッジョ・エミリア教育では、子どもには全てがある、という前提から始まる。子どもは大人の不完全版であるから未熟だ、という考え方と逆である。大人は子どもが既にもっているものをひきだしていく手助けをする。

 レッジョ・エミリア教育のコンセプトを作ったのはローリス・マラグッツィだ。彼は子どもには100の言葉があるが、大人は「これはいい」「あれはだめ」と一つ一つ諦めさせ、子どもたちが皆、同じような方向を向くのが「大人になる」ことになっていると批判している。

 画用紙にゾウの大きな鼻だけが描いてあるのは、子どもにとってその鼻があまりにインパクトがあるからだ。それを「ゾウの大きな身体をこう画用紙の真ん中に描きなさい」と指導するのは、子どもの見方を均一化する。

 「子どもにはクレヨンを与えて好きに描かせればいい」というのは、子どもの感じ方に対して鈍感なだけでなく、子どものもっている力を見くびっている。こうレッジョ・エミリア教育では考えている。

 この教育では美的要素をとても大切にする。あえて審美眼とは言わないでおこう。人は何かを判断する時、全てドライなロジックだけを基準にするわけではないことをベースにおいている。ロジックと美的判断あるいは感性は、自転車のペダルのような関係にある、との比喩をマラグッツィはよく用いたという。

 この美的要素は子ども自身の世界観の形成に貢献するだけではない。その一つ一つがコミュニティーに多様性を導き、その一方、多様性に寛容なコミュニティーをつくる。

 アフリカから来た友達の表現にイタリアで育った自分の表現とは違うところがあれば、それはどういう背景から来ているかの想像力もより働くようになる。

 差異に寛容であるのは、その差異の要因に関する理解が深いからだ。それには均一化されたコミュニティーから「あるべき多様性の姿」を学ぶのではなく、多様性をつくる一員になるのが最初のステップにならないといけない。

 これが美的な要素をコアにおくコミュニティーのロジックである。「うわべだけ格好だけつけて」という批判の対極に位置する。はじめに自分ありき、である。(安西洋之)

 筆者が企画に参画しているセミナーが2018年1月13日「ビジネスは魅力的なアート?」と19日「サスティナビリティある愛とは?」の両日、立命館大学東京キャンパスで開催されます。

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【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)

上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『デザインの次に来るもの』『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)フェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih

ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。