【ローカリゼーションマップ】風景の美醜に常に敏感であれ 「まもることにコミットする」大切さ
「尊厳」という言葉は、どうも難しい漢字の羅列に見えてしまう。よく見る言葉でありながら、親近感をもって普通に使えるとは言い難い。
「人の尊厳」を重んじるのが人の生き方として大切である。こう強調する人へインタビューした内容をもとに本の原稿を書いていたぼくは、この言葉をもっとやわらかく表現する必要を感じた。
そこで糸井重里さんに「尊厳」に替わる言葉を相談してみた。そうしたら「ありがたし」が相応しいのではないか、というアドバイスをいただいた。生かされていることへの「ありがたし」だと理解した。
ただ、ぼくはこの「ありがたし」を自分のアイデアのように書くには気がひけ、この一連のエピソードを含めて本の原稿とした。
2014年に出版した『世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』のなかにおさめた「倫理資本主義を実現するブルネッロ・クチネッリ」の一部である。
同社は、エルメスと同等のブランド価値と評価される1978年創立のファッションメーカーだ。創業者のクチネッリ氏は1985年に丘の上の崩れかけた中世の街に本社を移し、こつこつと街の再生に励み、劇場・図書館・職人の学校などを作ってきた。そして今度は、その丘の上から眺めた平地の風景に手を付け、それが一段落した。
今週、そのブルネッロ・クチネッリ氏のプレゼンテーションが、本社のあるウンブリア州ペルージャに近いソロメオであった。本社・公園・ワイナリーなどを案内された後、街の広場の特設会場(言うまでもなく、ここから彼の財団が整備した風景が一望できる)で、世界各国から招いた500人のジャーナリストを前に、彼は語りかけた。
我々の人生あるいはこの生きる世界とは預かりものであり、この世界がもつ美しさとヒューマニティーを「まもることにコミットする」大切さを説く。
「まもることにコミットする」という表現が最適かどうか分からないが、クチネッリ氏が好んで引用するローマ皇帝ハドリアヌスの「世界の美しさに責任を感じる」との言葉にすべてが含まれている、と考えて間違いがないだろう。
ここにも「ありがたし」が根底にある。
さて、クチネッリ氏がこの意図で風景に関して具体的に実行したのが、丘から眺めると視界に入ってくる、1950-70代の高度成長期にできた安普請の工場の建物を買い取り、解体することだった。そして周辺を緑地帯とする。
2014年、ミラノ市内で開催されたこのプロジェクトの発表もぼくは聞き、「風景の番人としての決断 いつの時代でも変わらない至高の価値」とのタイトルのコラムにしたが、クチネッリ氏の決断に、ぼくは驚いた。
なぜならば、建物はなるべく長い間存在する価値を重んじ、工場や倉庫なども産業遺跡として再利用を促すのがイタリアの文化に対する考え方である、と思ってきた。しかし、残すべき価値のないものを無駄に残すべきではない、とクチネッリ氏は意見表明したのだ。
今週、次世代に考えさせるための「余白」である緑地も含め、きれいに整った風景を眺めながら、ぼくは「美しさ」を最重要要素として位置付ける文化をどう維持するかに想いを馳せた。
今年の3月にリトアニアを訪れた。旧ソ連時代、美しさを自分で判断する自由を奪われた人たちが、独立後に新しい社会を作るのに苦労している。既に25年以上を経過しているが、自らが美しさの基準を再びもつのはそう簡単ではない。
したがって美しさへの目は、間断なく持ち続けることが大切なのだ。放棄する瞬間があってはいけない。
クチネッリ氏は「あの醜い建屋をそのままにして、次の世代が処分を決定しても遅くないだろう」と宿題として残さなかった。それは、次の世代の人たちが「前の世代は、あの醜さを許容範囲としたのだから、このままにしておこう」と判断する危険性を恐れたのだと思う。
今、問題を解決できるなら、今、解決させておかないといけない。
それだけの緊張感が美しさの継承にはあり、その最たる例が風景である。自然あふれる風景であれ、建造物が密集する空間であれ、ぼくたちはその風景の美醜に常に敏感になるべきなのだ。
この感性が社会をつくっていくにあたり鍵であると心の底から思えたのは、ぼくも恥ずかしながら前述したリトアニアのプロジェクトに絡んでからだ。クチネッリ氏のプロジェクトをほんとうに理解するには時間がかかるが、自分なりに腑に落ちた時、心が落ち着くのはとても嬉しい。(安西洋之)
【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)
ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。
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