レトロゲームブームに物申す 学んだのは理不尽さ 「無理ゲー」「クソゲー」にトラウマ
中年が突然、口ずさむ曲といえば、H2Oの「想い出がいっぱい」である。あだち充の『みゆき』がTVアニメ化されたときの主題歌でもある。何かこう、青春時代の甘酸っぱさが蘇る曲だ。
ただ「思い出」というものとは、付き合い方に気をつけなくてはならない。どんどん美化されてしまう。ちょうど、今度、高校の同窓会があるのだが、みんなが笑顔で会えるのは、中年になって人生の世知辛さを味わい昔の仲間に会いたくなるという正統派の理由だけでなく、嫌なことを忘れているからという理由もあることだろう。岡崎京子(漫画家)風に言うならば『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』というわけである。
最近のレトロゲームブームについても同じことが言える。任天堂の「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」に、ソニー・インタラクティブエンタテインメントの「プレイステーションクラシック」など、懐かしいゲーム機・ソフトのリバイバルが相次いでいる。
他にもSNKの「ネオジオミニ」も発売されたし、当初の予定よりも発売が遅れたものの、来年にはセガの「メガドライブミニ」の発売が予定されている。
◆ちょっと冷静になってみないか
小型化されたマシンの中身には、20~30本のソフトが収録されているのだが、たしかに名作、話題作と言ってよいゲームが並んでいる。色あせない作品だらけだ。我々、中年にとって懐かしいだけでなく、若い世代にとっては新しい存在である。おしゃれガジェットだとも言えるし、これが1万円以内で買えるのは、リーズナブルだ。私も、たまに欲しくなり、酔った勢いでついポチってしまいたくなる。
私自身は実際にレトロゲームで遊ぶことはほとんどないのだが、この手のレトロゲーム機がリバイバル発売されるたびに「昔はよかった」話になり、私も盛り上がってしまう。ただ、ちょっとだけ冷静になって考えたい。我々、中年は幼い頃からゲームを楽しみ、大人になった。しかし、本当に楽しい思い出だけだろうか?否。正直なところ、嫌な思い出もたくさんではないか。そして、この嫌な思い出によって、我々、中年は社会の現実を知ったのではないか。
「コロコロコミック」での煽りにのって買ったハドソン(当時)の「バンゲリングベイ」は、内容が小学生向けではなく、しかもいまいち面白さがわからなかった。アイレムの「スペランカー」には、大の大人の弱さを学んだ。スーパーマリオがあれだけジャンプしているのにも関わらず、僅かな落下で死んでしまうとは。タイトーの「たけしの挑戦状」からは、理不尽を超えた理不尽を学んだ。
いわゆる「クソゲー」の問題もトラウマ体験だ。前出の「たけしの挑戦状」の他、「いっき」など、この問題は枚挙に暇がない。なお、「クソゲー」ではないが、せっかく当時のお小遣いから言うと、安くはない出費なのに、せっかく買ったのに簡単にクリアできてしまう「やさゲー」というものもあった。個人的な体験では、カプコンの「闘いの挽歌」やテクモの「アルゴスの戦士」などがそうである。
◆大ヒットのトラウマ体験も
大ヒットゲームのトラウマ体験というものもある。
ドラクエの「1」と「2」においては、復活の呪文のトラブルというものが多発した。黒板の内容をノートに写すだけでも嫌気がさすのに、なぜ、あれだけの文字量を書き起こさなくてはならないのだろう。理不尽きわまりない。「ぬ」と「ね」を間違えるなどして、私たちの冒険は何度も中断した。「3」になってS-RAMという仕組みで保存できるようになったが、ときにデータが飛んでしまうことがあった。これまた残念だった。
鬼のような難しさというトラウマ体験もある。ドラクエの「2」は、船をゲットした瞬間、行動範囲が広がりすぎて、物語の本来の順番を飛び越えて、強い相手と戦わなくてはならなくなったのが懐かしい。
このように、私たちはゲームで楽しい想いもしたのだが、むしろ理不尽さを学んだのではないか。そして、会社という戦場で、当時のクソゲー、無理ゲーのような、理不尽な体験をしていないか。毎日、「おお、勇者ようへい、死んでしまうとは何ごとだ」と言われているような気分になる。死ぬようなことをさせるなよ、と労働者なら叫ぶべきだ。
◆ファミコンブームの嘘?
なお、記憶の嘘と言えば、ファミコンブームなどの嘘についても、ちゃんと振り返らなくてはならない。よくある、バブルの光景としてジュリアナ東京が紹介されるのと似ている。そう、ジュリアナ東京はバブルが弾けてからオープンしたのだ。同様に、当時のファミコンブームなども間違って伝えられている。
例えば、「スーパーマリオで、ファミコンブーム到来」みたいな記述は、正しいとは言い切れない。その前に、ナムコ(当時)やハドソン(当時)がサードパーティーとして参加したり、任天堂が「デビルワールド」「クルクルランド」「バルーンファイト」「アイスクライマー」などの佳作を連発した頃から、少なくともハードは品薄だったと記憶している。
また、ファミコンブームというよりも、ゲームブームだったという総括も可能ではないか。別にみんな、ファミコンだけをしていたわけではない。セガのゲーム機も人気があったし、さらにはパソコンを使ったゲームもブームになっていた。アーケードゲーム(ゲームセンターなどに置かれているゲーム)も、体感ゲームや、格闘ゲームがブームになり始めていた。
いつからいつまでゲームをしていたのかという問題もある。私は結局、PS2までは据え置き機を持っていたが、それ以降は、3DSで申し訳程度に遊ぶくらいだ。その3DSもしばらく触っていない。積極的にゲームをしていたのは、ファミコンブームの頃で、小学生までだ。大学時代に、スーファミを買ったりもしたが、それほどハマらなかった。
というわけで、記憶は嘘をつく。痛い体験まで含めて、思い出すべきだ。復刻版マシンを欲しいと言っている、同世代の君、本当に楽しい思い出だらけだったかい?
◆珠玉ソフトのベスト10はこれだ!
最後に、私が選ぶ、ファミコン時代縛りの、いまでも遊びたいソフトベストテンを紹介しよう。これらが入ったミニファミコンなら、買いたいぞ。
あえて10位から列挙していく。ちなみにメーカー名は当時のもの。
《10位》レッキングクルー(任天堂)
ビル破壊ゲームだったような、マリオが登場するのに、現在ではあまり語られない作品。パズルの要素もあり。鬼難しかったような。スーパーファミコン以降、マリオが登場するゲームが増えたが、その先駆けだったとも言える。
《9位》スターラスター(ナムコ)
明らかに『スター・ウォーズ』を意識しているだろと思えるような、3D視点のスペースシューティングアドベンチャー。これまた鬼難しかったような。敵からやられているときの臨場感がナイスだった。
《8位》熱血高校ドッジボール部(テクノスジャパン)
くにおくんシリーズの傑作。もともとのくにおくんは、ゲームセンターのものが迫力満点でいい感じだった。これは、ファミコンっぽいソフトだなと思う。痛快、爽快なスポーツアクション。
《7位》チャレンジャー(ハドソン)
皆がスーパーマリオを買う中、私はこっちを選んだ。まさに、チャレンジャーという感じ。最初の列車のシーンでボスに何度もナイフを当てると最後の面にいけるという説があったが、あれは本当だったんだろうか。
《6位》高橋名人の冒険島(ハドソン)
ゲーセンではワンダーボーイというゲームだった。ハドソンがつくったスーパーマリオという感じ。でも、南の島を冒険するというのが、なかなかナイス。
◆トップはやはりあの名作に
《5位》ディグダグ(ナムコ)
あのカラフルな画面が好き。ポンプや岩で戦うという設定も秀逸。島が舞台のディグダグ2もナイスだったなあ。
《4位》ドルアーガの塔(ナムコ)
いま思うと、理不尽ゲームとも言えるが、あのチープな画面が逆に想像力を刺激し。キャラとアイテムがいちいち素敵。最終面で壁を破壊して粗相なんてこともあったなぁ。
《3位》ボンバーマン(ハドソン)
なんせ、爽快。アクションとパズルの要素が秀逸。BGMもいい感じ。
《2位》ポートピア連続殺人事件
これにかぎらず、『オホーツクに消ゆ』、PC版の『軽井沢誘拐案内』など、堀井雄二(ゲームデザイナー)の推理モノアドベンチャーは大好きだった。最後の迷路が難しかったなあ。犯人は、あなたですか。
《1位》ドラゴンクエスト2
セーブシステムの「復活の呪文」問題などがありつつも、やっぱりハマってしまった。初のパーティー制。ドラクエは7まではプレイしたが、どれも好き。特に2、5、7が好きだなあ。
最後は中年の雑談になってしまったが、どうだろうか。というか、スーパーマリオもMOTHERも入っていないですまない(MOTHERはやってない)。というわけで、等身大のゲーム語りをしよう。うん。
【プロフィル】常見陽平(つねみ・ようへい)
働き方評論家 いしかわUIターン応援団長
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。専攻は労働社会学。働き方をテーマに執筆、講演に没頭中。主な著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。
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【常見陽平のビバ!中年】は働き方評論家の常見陽平さんが「中年男性の働き方」をテーマに執筆した連載コラムです。更新は原則第3月曜日。
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