気仙沼市は世界三大漁場の三陸沖を抱え、漁業の拠点として機能し、加工業をはじめとする日本有数の水産業が栄えた。漁業関係者の割合も圧倒的に多い。カツオやメカジキ、サンマなどは日本トップクラスの漁獲高を誇ってきた。買い物客があふれ、豊かな自然を生かした観光業も発展した。すべてにつながるのは「海」。海を中心とした産業で成り立ってきた。そこから気仙沼市ならではの「浜の文化」が生まれた。
震災から7カ月後の2011年10月、気仙沼市が策定した震災復興計画がある。市内外から募集したキャッチフレーズは「海と生きる」となった。その決定理由にすべての思いが込められているような気がした。
「先人たちは何度も津波に襲われても、海の可能性を信じて再起を果たしてきた。…海を敵視せず、積極的に関わりあって暮らしてきた。それは単に『海で』生活していたのではなく、人間は自然の一部であることを経験的に体得し、対等の関係を築いて『海と』生活していたとも言える。その態度が自然観や運命観、ひいては死生観となった。気仙沼の観念は海にある。…」
気仙沼市には震災後、度々足を運んだ。今でも交流を続けている飲食店経営の男性がいう。「ここでは、(防潮堤によって)海が見えなくなる、という環境はありえないのです」。海と住民が切り離されることは、気仙沼市の存在価値がなくなってしまうほどのことなのだ、という。
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情緒的な話だけではない。高いコンクリート壁で海を覆うことで海辺の生態系が破壊され、津波からの避難が遅れる。工場などが立ち並ぶエリアなら防潮堤があっても、高くても構わないだろうが、海の近くという環境をベースに生計を立て、その景観で商売をしている場所も多いという。