今年は1914年の第一次世界大戦勃発からちょうど100年にあたる。私も含めたわれわれ日本人の第一次世界大戦に対する知見は日露戦争と比べると驚くほど浅薄である。当時ドイツの要塞があった青島を攻めたことぐらいは知っている人も多いが、ドイツ海軍の対Uボート戦用に地中海に護衛艦隊を派遣した話になるともうほとんど知る人は少ない。日本はこの時に今でも中国がその日を国恥記念日とする対華21カ条要求を突きつけ、また終戦の講和会議では世界五大国の一つとして世界の平和秩序に対する責任ある地位を委ねられた。しかしながら日露戦争後には多くの列強の士官らが勉強しにきた日本の世界最高水準だった戦争の技術も、航空機や戦車、潜水艦などの新兵器の登場によって一気に陳腐化してしまったのもまた第一次世界大戦なのである。
司馬遼太郎が産経新聞に『坂の上の雲』を連載し始めたのが1968年。それから50年近くが経過しようとしているのに、われわれの知る歴史物語は日本海海戦の大勝利で停止してしまっているのかもしれない、その後は第一次世界大戦を飛ばしていきなり戦艦「大和」とゼロ戦なのである。司馬は日露戦争のその後を書くべく期待されたが、題材として主人公となるべき人物が見当たらないとして書かなかった。明治帝をはじめ西郷や山県。伊藤、大山巌らの特徴ある人材がいなくなり、政治家も軍人も人物として小粒でサラリーマン化してしまったというのだろうか。
さて、われわれはあまりにも偉大な司馬遼太郎の呪縛からそろそろ解き放たれなければならない。100年目を迎える第一次世界大戦については今後4年ほどの間にシンポジウムが開かれさまざまな研究が発表されることになるだろう。それがきっかけになればと思う。(作家 板谷敏彦)