破壊力ある改革の原動力は、壮絶な覚悟の中から出る構想力だ。ちょうど70年前の1945年の敗戦時にも、危機感をバネに、リーダー(始動者)たちが政・官・財・学などの各界で力を発揮し、欧米に学びつつも、まねだけではない独特の産業政策やビジネスを展開して日本を復活させた。米アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏はサムスン電子には手厳しかったが、ソニーや盛田昭夫の構想力への敬意は大きかった。
昨年末の総選挙での与党大勝利の余韻が続いているが、2015年の日本は大変な年になると思う。原発再稼働や集団的自衛権行使に向けた法制化をめぐっては国論が割れるだろうし、何より、経済的に、金融・財政政策(アベノミクスの1本目・2本目の矢)が力尽きつつある中、将来像を描くのが困難だ。地方創生も従来施策の延長では達成できないし、他分野でも、外国の二番煎じ的に、「日本版○○」政策や、「和製○○」ビジネスといった「前例・横並び」シリーズを官民挙げて展開するだけでは先は暗い。
私が少年の頃、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という独創的な映画があった。1985年の米国が舞台で、タイムマシンのデロリアンが飛び立つ30年後の未来は2015年だった。そこでは、空中を自動車が飛び交い、いまだ日本企業が輝きと恐れを持って描かれていた。そして、監督のスティーブン・スピルバーグ氏は映画界を一変させる構想力を発揮した黒澤明監督を敬愛していた。残念ながら映画の予測は外れている感があるが、今こそ、覚悟に基づく日本人の雄大な構想力が不可欠だ。未年だからといって、大衆人として群れている場合ではない。必要なのは安全な場所から騒ぐ評論家ではなく、覚悟と構想力のある行動者だ。
◇