豊田泰光氏死去 西鉄の主力打者の一人として黄金時代支える

国鉄内野手時代の豊田泰光氏=昭和38年ごろ
国鉄内野手時代の豊田泰光氏=昭和38年ごろ【拡大】

  • 西武-ソフトバンクの始球式で挨拶する豊田泰光氏=平成21年6月、西武ドーム(原田史郎撮影)

 西鉄(現・西武)の主力打者の一人として黄金時代を支え、野球評論家としても活躍した豊田泰光(とよだ・やすみつ)氏が14日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため川崎市内の病院で死去した。81歳だった。

 茨城県出身。水戸商高の遊撃手として甲子園に出場し、開会式で選手宣誓も務めた。昭和28年、西鉄に入団。豪快な打撃が持ち味で、1年目から遊撃手のレギュラーの座をつかみ、打率・281、27本塁打の好成績をマーク。高卒新人ながら、新人王を獲得した。

 三原脩監督の下、中西太氏らとともに主軸として、31年から3年連続の日本一に貢献。「大舞台に強い打者」として知られ、日本シリーズMVPにも輝いた。31年には打率・325を残し、首位打者のタイトルを獲得。遊撃手としてベストナインに6度選出された。

 37年に選手兼任助監督を務め、翌年、国鉄(現・ヤクルト)へ移籍。44年に現役引退。近鉄のコーチを務めた後は、野球評論家として活躍し、球界の問題に鋭く切り込む解説で人気を集めた。平成18年、野球殿堂入りを果たした。