
日本刀を使って王貞治(左)への打撃指導をする巨人コーチの荒川博氏=1964年夏、東京都中野区の自宅で(同氏提供)【拡大】
巨人球団史上初の最下位(1975年)から翌年(76年)に奇跡の優勝を果たした第1次長嶋茂雄第政権で、チームを勢いづかせたのは加藤初さん(12月11日、享年66)だった。4月18日の広島戦でノーヒットノーランを達成。チームの13試合目だったが、加藤さんは中継ぎ→先発→抑え→抑え→中継ぎと続いた6試合目、中1日の過酷マウンドだった。その年、14試合の先発を含む46試合に登板、15勝4敗8セーブ…。「ミスターが喜んでくれるなら、僕はいつでも投げますよ」という献身的な言葉がまだ頭に残っている。
世紀の珍プレーとして有名なになった中日・宇野勝の遊飛“ヘディング落球”(81年)があったが、それを打ったのは巨人・山本功児さん(4月23日、享年64)だった。地味ながら“いぶし銀”の巧打に魅せられた。後にロッテ監督となり、指導者として球界に尽くした。
20勝4敗で最多勝(82年)に輝いた日本ハム・工藤幹夫さん(5月13日、享年55)は、その年9月に右手小指を骨折したが、1カ月後のプレーオフに“まさかの先発”…。周囲は驚かされた。このほか、阪神監督だった後藤次男さん(5月30日、享年92)は“クマさん”の愛称でみんなに愛された。広島不遇時代の中心打者・山本一義さん(9月17日、享年78)は自身の打撃もさることながら、金本知憲(現阪神監督)を育てたコーチ力に定評があった。
相撲界では九重貢さん(元横綱千代の富士、7月31日、享年61)がいる。ウルフの異名で人気を博し、歴代3位の31回優勝を誇り、角界初の国民栄誉賞を手にした“昭和最後の名横綱”であった。ラグビー界では平尾誠二さん(10月20日、享年53)がいた。“ダンディズム”でフィールドを疾走、女性ファンをも虜にしていた。