
元気だったころの中村敬子さん。面談に訪れる関係者の気持ちを和ませるため、チョコレートでもてなすこともあった【拡大】
中村さんはかつて「大変だった情報システム室時代を乗り越えられたのは、庁内の仲間だけではなく、庁外の人たちも助けてくれたからだ」としみじみ語っていた。
人のつながりが重要だと考えた中村さんは企画調査課長就任時に「怒られる、恥ずかしい、面倒くさい、とならず、まずは誰もが安心して言い合える職場にしたい」と語っていた。何でも職員と話し、つながりを持った。病名を知る職員も多かった。そして目指したのは“楽しい職場”だ。それは「最後までがんばってもらう。仕事なので」という厳しい指導方針とも表裏をなしていた。
ある女性幹部は「宴席で若手へ『(私自身)生きているだけで幸せ。励まし合い、楽しく乗り越えていこう』と言っていた。仕事はつらいが彼女はもっとやりたかったはず。だから今も『みんな楽しくやって』と言っていると思う」と話した。(知財情報&戦略システム 中岡浩)