松本清張も通い詰めた名店 文化人に愛されたフランス料理「こけし屋」
JR東京駅から約30分の場所にある中央線の西荻窪駅近くに店舗を構えるフランス料理と洋菓子の店「こけし屋」は昭和24年創業の老舗だ。多くの文化人らに愛された指折りの名店として、今も多くのグルメ通の舌をうならせている。(文・玉崎栄次)
松本清張の“書斎”
午後3時。ホールでは、1組の老夫婦が会話を楽しみながら、ゆったりと遅い昼食をとっていた。
「落ち着いた雰囲気でしょう。先生はこの時間に黙々と筆を走らせていたそうです」。川上貢店長(67)が店に伝わる逸話を教えてくれた。作家、松本清張(1909~92年)のエピソードだ。
昭和30年代前半、毎週のように通ってきた。昼の開店と同時に現れ、ホール奥のテーブルに陣取る。昼食を終えると執筆に取りかかった。夕方、編集者が原稿を取りに来た。手渡すと、夕食を済ませて帰る。
しばらくして、空前の推理小説ブームを巻き起こした「点と線」が世に出た。
清張が好んだのは、牛肉の赤葡萄(ぶどう)酒煮込(ビーフシチュー)。当初からの看板メニューだ。
「当時と同じ作り方。だから、味も同じです」。川上店長が差し出した皿には、2切れのこっくりとした色合いの肉が。口に運ぶと、ワインの程良い酸味と脂身の甘さが広がり、ほろほろと舌の上で溶けていく。この味が、名作の誕生を支えたのかもしれない。
思い出の味を守る
現在の6階建て店舗は昭和55年に建て替えられ、レストランや洋菓子売り場が各フロアに入る。24年の創業当初は戦火を免れた木造2階建ての喫茶店だった。
西荻窪周辺は、戦時中に疎開した文化人が多かった。創業者の大石総一郎さん(故人)には、画家や評論家ら文化人の知人が多数おり、酒を飲み交わす会を始めた。人が人を呼び、沿線に住む作家や画家たちが続々と集った。小説家の井伏鱒二、洋画家の東郷青児、版画家の棟方志功…。
年の瀬に慈善オークションを催したり、メンバーのお祝いの会を開いたり。ファッションショーを行うこともあった。さしずめ、モダン文化の発信基地。
仏料理を提供し始めたのも、メンバーでフランス生活の長かった仏文学者の妻の勧めがきっかけ。「仏料理は家庭料理が基本」。その教えを忠実に守り、オニオングラタンスープなど肩肘張らないメニューをそろえた。
口コミで評判が広がり、遠方からやってきて「こけし屋で初めて仏料理を食べた」という客も多かった。昔からの味を守り続けているのは、そんな客たちの思い出を大切にしたいからだ。
戦争に負けても伝統文化は残るという思いを店名の「こけし」に託したという。店内に飾られた数百体のこけしは、不要になり引き取ってほしいと持ち込む客が後を絶たず、増えていったそうだ。
■こけし屋
東京都杉並区西荻南3の14の6。(電)03・3334・5111。コースは4200~1万400円。単品でも注文可。ランチは午前11時~午後2時で2600円と3700円。税・サービス料別。
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