ピアニスト フジコ・ヘミング氏『たどりつく力』

著者は語る

 ■ピアノは、自分の胸の内を吐露する声

 スウェーデン人の父と日本人ピアニストを母に持つ私は、ベルリン生まれの日本育ち。5歳の時に一家で帰国しましたが、戦争が始まると父は一人祖国へ帰ってしまい、母はピアノを教えて私と弟を育てました。当時の母の夢は、私を独り立ちできるピアノの教師にすること。期待に応えなければとスパルタ教育に耐えているうち、私はこよなく音楽を愛するようになり、貧困や学校でのいじめにもピアノを弾くことで救われました。

 ベルリンへの留学直前に私には国籍がないことがわかり、国連の難民パスポートで渡欧。音楽学校でも嫉妬やいじめに遭いましたが、卒業の年、さらなる悲劇に見舞われました。1970年冬、バーンスタインの推薦でやっと巡ってきたコンサートの数日前、風邪薬の副作用で左耳の聴力を失ったのです。16歳で患った中耳炎のため右耳が聞こえない私は、完全無音の世界に取り残されました。音を失った音楽家はどうやって生きていけばよいのか…茫然(ぼうぜん)自失のままスウェーデンに引きこもり耳の治療とピアノを教える日々でした。

 そんな孤独な生活に、突然の変化が訪れました。母が90歳で亡くなった2年後、95年に日本に帰国。左耳の聴覚は40%回復していたので、母が遺した東京・下北沢の自宅を拠点に演奏活動を開始しました。その矢先の97年2月、運命を変える話が舞い込みました。NHKのドキュメンタリー番組『フジコ-あるピアニストの軌跡』の取材は、放送直後から大反響。同年にリリースされたデビューアルバム『奇跡のカンパネラ』も200万部超えの大ヒットで今なお記録更新中です。人生後半の奇跡的な幸運は神様の贈り物でしょう。

 私にとってピアノは、自分の声であり、胸の内を吐露する存在ですが、私の演奏をきっかけに多くの方がピアノの魅力に触れ、さらに音楽全般に興味を広げてくれれば、クラシックの裾野が広がると思います。それを願い、私は人生の最後までピアノを弾き続けます。(1188円 幻冬舎)

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【プロフィル】フジコ・ヘミング

 父はスウェーデン人画家・建築家、母は日本人ピアニスト。母の指導でピアノを始め、東京芸術大学を経てベルリン高等音楽学校に入学。一時聴力を失うが、1999年にリサイタルとNHKドキュメント番組が大反響を呼び、デビューCD『奇蹟のカンパネラ』他をリリース。毎年日本と世界各国でリサイタルを実施している。