“軍事機密の塊”戦車の魅力は世界不変 ハッチから顔出し「戦場の気配」読む

 
昭和59(1984)年、アバディーン兵器博物館(米メリーランド州)で、米軍のM4シャーマンと写る木元寛明さん(木元さん提供)

【銀幕裏の声】戦車戦極めた元連隊長が語る秘話(上)

 戦車の戦いを描いた映画はこれまで国内外で繰り返し製作されてきた。一昨年はハリウッドスター、ブラッド・ピット主演の大作「フューリー」が公開され世界中で話題を集めた。さらに近年、“ガルパン”の愛称で人気の日本の戦車アニメ「ガールズ&パンツァー」が世界から注目され、昨年は劇場版が公開されるなど幅広い世代へと人気が広がっている。“軍事機密の塊”ともいえる戦車への興味は世界不変-という証しだろうか? 「実は今年は戦車が誕生して100年という節目の年なんですよ」。こう語るのは「戦車の戦う技術」(サイエンス・アイ新書)の著者で陸上自衛隊第71戦車連隊長などを務めた元陸将補、木元寛明さん。謎のベールに包まれた“戦車戦秘話”の一端を明かしてくれた。(戸津井康之)

 知られざる戦車戦の実際

 大正4(1915)年、英国で戦車の原型となった「リトルウィリー」が完成。その翌年、英国軍が正式に戦車製造を開始。世界初の戦車「マークI型」の誕生だ。1916年、今からちょうど100年前に戦車は登場し、その後、世界各国が戦車開発競争にしのぎを削ってきた。

 映画「フューリー」は、第二次世界大戦末期の米独の戦車戦を描いた作品で、米軍のM4シャーマンと独軍のタイガーIという、この時代、両国を代表する戦車による熾烈な戦闘をモチーフにしていた。

 戦史や戦車に造詣の深いブラッド・ピットが自らプロデューサーを務め温めてきた企画で、戦車長役を演じたピットが乗り込むM4も敵のタイガーIも実物が使用されている。

 「フューリー」で印象的だったのは、車長役のピットが、砲塔部のハッチから顔を出して戦うシーンがひんぱんに描かれていた点だ。戦車の砲弾や銃弾が飛び交う中、外へ顔を出して戦うのは危険ではないか、と想像しがちだが、木元さんはこう断言した。

 「戦場で車長は砲塔から顔を出さないと、戦車・戦車部隊は指揮できません。もちろんずっと出したままでは危険ですが…」と。

 現在の最新鋭戦車では、モニターや視察装置、センサーなどを使い、車内で座ったまま敵の位置などを確認できるが、「センサーには映らないものが戦場にはあるのです。そんな“戦場の気配”は、車長が顔を出して自らの眼で確認しなければ把握できないものなのです。100年の歴史を経ても、この事実だけは変わりませんよ」と強調した。

 「戦車戦」極めたスペシャリスト、M4から90式まで制覇

 木元さんは昭和43年、防衛大学を卒業後、陸自へ配属。富士学校機甲科部で戦車小隊長、中隊長の教育を受ける。その後、第2戦車大隊長(第2師団)、第71戦車連隊長(第7師団)などで指揮官職を歴任した。

 自衛官として一貫して“戦車戦”を極めたスペシャリスト、木元さんが初めて乗った戦車が、「ヒューリー」にも登場するM4の最終型だった。

 木元さんはこのM4をはじめ、日本初の国産戦車61式、そして74式から90式へと、その時代を代表する陸自主力戦車を乗り継いできた。

 「初の日本国産の61式は100%マニュアル操縦。旧式のM4もマニュアルでしたが、61式よりも操縦ははるかに楽でしたね」と木元さんは苦笑した。「74式でようやくオートマチックの操縦が採用。そして90式になり、完全オートマチック操縦や、走行中に目標をロックしながら射撃できる能力を備え、世界トップレベルの戦車となったのです」

 戦車乗り=“タンカー”の誇り

 木元さんはこれらすべての車種で車長を務めた、日本の戦車史を知り尽くしたスペシャリスト、陸自を代表する“タンカー”の一人だ。タンカーとは英語で“戦車乗り”を意味する。米国留学など世界各国を訪れ、世界の軍人と交流してきた木元さんは言う。

 「外国の軍人とあいさつを交わす際、まず『あなたのブランチ(兵種)は?』と確認します。『タンカーだ』と、互いに戦車兵だと分かると、国境を越えて会話が進みます。戦車兵は特に戦車への愛着が強く、世界共通の戦車兵独特の気質があるんですよ」

 海外の戦車史の研究者でもある木元さんが、こんな話を教えてくれた。

 「ノブレス・オブリージュ-。これは元は仏貴族の言葉で“選ばれし者は、その義務と責任を負う”という意味です。これが歴代の独国防軍戦車兵に受け継がれてきたのです」

 独国防軍の戦車兵は歴代、精鋭として選ばれたエリートたちで、「戦場という究極の場で彼らは“ノブレス・オブリージュ”を実践してきたことで知られています」

 その代表的な存在がロンメル将軍が率いた“アフリカ軍団”だ。第二次世界大戦下、北アフリカで見せた驚異的なその戦闘能力に敵軍から、“砂漠の狐”と呼ばれ、恐れられたロンメル将軍。圧倒的優勢を覆された当時の英国、チャーチル首相は彼を「ナポレオン以来の戦術家」と評したという。その逸話は度々、戦争映画でも描かれてきた。

 「彼らの騎士道精神こそ、軍隊・軍人の理想的な姿といえます」と木元さんは語る。