革新の味は伝統に…池波正太郎ら多くの文士が愛した名店「資生堂パーラー」
東京・銀座の目抜き通りに店を構える「資生堂パーラー」。西洋料理レストランの草分けとして、食通だった池波正太郎をはじめ、多くの文士に愛された。本物を追求し続けた革新の味は伝統となり、今も多くの人を魅了している。(油原聡子)
米薬局モデル
平成13年に建て替えられた東京銀座資生堂ビル。レンガ色に彩られ、文化の発信地、銀座のランドマーク的な存在だ。資生堂パーラー銀座本店が入居するのは、ビルの4、5階。吹き抜けの優雅な空間が、昭和を彷彿(ほうふつ)とさせる。
本店支配人の阿久津厚男さん(48)は、「西洋の文化を日本に伝えるという思いの下、創業しました。定番レシピのメニューは代々受け継がれ、伝統の味を守り続けてきました」と話す。
明治5年、洋風の調剤薬局としてこの地で開業した資生堂。創業者、福原有信が米国視察の際、薬局の一角でソーダ水が販売され、人々の憩いの場となっているのを見たことが、35年の「資生堂パーラー」誕生のきっかけとなった。
米国からグラスやシロップを輸入して作られたハイカラな飲み物はすぐに銀座の名物になった。関東大震災による店の建て替えを経た昭和3年、本格的な西洋料理を供するレストランに。おしゃれなモボやモガ(モダンボーイ、モダンガールの意)でにぎわったという。
「持続の美徳」
引き継がれてきたレシピの中で、特に人気が高いのがフランス風コロッケの「ミートクロケットトマトソース」。
「当初は庶民の味だったコロッケを、メニューに入れることには反対もあったようです」と阿久津さん。
資生堂によると、大正時代、皇太子さま(後の昭和天皇)の午餐(ごさん)会に出されたフォアグラ入りのコロッケを目にし、感動した当時のシェフが「レストランにふさわしい高級コロッケを」と、生み出したのだという。
芋を使わず、角切りにした子牛の肉とハムを、ベシャメルソース(ホワイトソース)で包み、油で揚げた後、さらにオーブンで火を通す。サクッと割れる繊細な衣に、ソースのなめらかな舌触り。添えられたトマトソースの酸味とのバランスが絶妙な逸品だ。
本物志向と先進性に富んだメニューは、多くの文化人を引きつけた。森鴎外の「流行」や太宰治の「火の鳥」など文学作品にも頻繁に登場する。
中でも池波正太郎は、株式仲買店の店員をしていた10代の頃から通っていたという筋金入りだ。
40年以上パーラーに勤務する栗原昭広さん(61)は「昼にふらっと来ては、ミートクロケットやチキンライスを頼んでいらっしゃいました」と振り返る。
〈戦後の30年間、すべてがめまぐるしく変わったのに、ここの味だけが変わらぬ〉
池波はエッセー「散歩のとき何か食べたくなって」で、資生堂パーラーをこう評し、「持続の美徳」とたたえている。
変化の激しい時代だからこそ一層、歴史の重みが大切に感じられる。
【メモ】資生堂パーラー
銀座本店 東京都中央区銀座8の8の3 東京資生堂銀座ビル4、5階。(電)03・5537・6241。午前11時半~午後9時半。月曜定休(祝日の場合は営業)。ミートクロケットトマトソース2470円、アイスクリームソーダ1130円。コース料理もあり。サービス料別。
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