赤佐氏と中屋遺跡 遠江で屈指の大勢力を保持
静岡・古城をゆく
天浜線岩水駅北域の発掘調査で見つかった大規模な館跡。堀跡は200メートルに及ぶ浜松市浜北区
平成17年、静岡県浜松市浜北区の天浜線岩水寺駅北域で、大規模な館跡が見つかり話題となった。新東名高速道路の建設工事に伴う県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査だが、館を構成する堀の幅は4メートル、深さ2メートル、土塁も付加し、堀の四方は200メートルに及ぶ「国内最大級のもの」と位置付けられた。
これだけ広大なものは、一般的に今川氏や武田氏といった戦国大名クラスの館跡(守護所)と同一と考えるのが妥当である。出土遺物は高級品である青磁や白磁、山茶碗(ちゃわん)など、ほとんどが鎌倉期のもので、黒漆塗りの木製鞍(くら)と「急々如律令」と書かれた祭祀(さいし)用の呪符木簡も多数見つかり、重要文化財級に値する。
ここで最も問題定義するのは、築城した領主を特定できる遺物はなく、史資料も見つかっていないことであった。戦国期、元亀3(1572)年の三方ケ原の戦いとなった徳川、武田両軍の抗争期を想定すればなくもない。
しかし、当該での鎌倉期の有力者を掘り起こせば、周辺地名の「赤佐」は井伊氏一門の赤佐氏と関係し、小字名の「中屋」は本拠的な屋敷を意味するもので、他の有力者は見つからない。
『寛政重修諸家譜』によると、同時期の井伊氏一門にある貫名氏は、現在の袋井市に比定され、さらに掛川市の峰田郷も井伊領であったことも知られており、遠江国では屈指な大勢力を保持していたのである。(静岡古城研究会会長 水野茂)
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