元社畜の中年が「新社会人に贈らない言葉」 私の新人時代は生き地獄だった
意識高い系ウォッチャーにとって、春はたまらないシーズンだ。成人式、就活、卒業式、異動や転職、入学式や入社式など、意識高い系が決意表明やエールなどをSNSで発信する季節だからだ。意識低い系のヤフコメおじさんが罵倒するのも味わい深い。
そんな中、担当の超絶美人編集者K嬢(Perfumeのかしゆか似)から、「新社会人にエールを!」という意識の高いオファーを頂いた。サンケイグループといえば、毎年、産経新聞が成人の日に若者に対して上から目線の社説を書いていることで知られている。自分にはそんな殊勝な言葉は贈れない。
せめてもの慰めに、ダメ新人だった時代の思い出を書きとめ、中年から若者へのエールとしよう。特に新人時代に、上司やお客様から学んだことを伝えることにしよう。ちょうど先日、単著『社畜上等!』(晶文社)を発表したばかりなので、ぜひあわせて読んでもらいたい。(働き方評論家 常見陽平)
◆「将来は起業したい」大望を抱き入社
「20代を熱く生きたい」「成長したい」「社会を変えたい」-そんな意識の高い理由で私はリクルートに新卒入社した。当時を思い出すと恥ずかしくなった。「将来は起業したい」と思っていたので、そのための経験を積み、人脈と軍資金をつくるには最適なステージ(という表現も意識が高い)だと考えたのだ。最終面接でも取締役に「この会社は胡散くさい」「3年で辞めますけど、いいですか?」と暴言を吐いたが、内定が出た。
「会社とビジネスパーソンは対等な関係であるべきだ」。そう考えた私は、内定式をボイコットした。実際は大学の講義があったからなのだが、在学中の時間は1時間でも会社に捧げたくないと考えたのだった。内定者アルバイトや、同期の飲み会にもできるだけ行かなかった。だから、『天空の城ラピュタ』なみに浮いてしまった。いまだに同期と話すのは、ちょっと緊張するし、引け目を感じてしまう。
1997年4月1日、私は社会人になった。配属先の部署は、通信サービスの事業部で、営業担当。まったくの希望外だった。
よく分からないまま、入社式、新人研修が進んでいき、夜は配属先のキックオフに歓迎会。泥酔しなぜか同期と新橋で殴り合いになった。途中の駅で降りてトイレに駆け込み嘔吐。社会人って辛いんだと思った。二日酔いの中、次の日も6時台の中央線に乗るために、ホームに立っていた。
◆新人時代は、生き地獄だった
新人時代は、生き地獄だった。「僕はここに居てもいいんだ!!!」と『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ風に捉えるような境地には至らなかった。
想像以上の実力主義の営業会社だった。売れたかどうかがモノを言う。まったく仕事ができなかった。マナーやスケジュール管理といった基本的なことから、顧客の課題をヒアリングすること、提案書の作成、プレゼンなど、すべてにおいてダメだった。
営業会議はいつもツメ会。なぜ売れないのかと徹底的に絞られた。いま思うと、愛のあるアドバイスだったかもしれないが。
なぜか宴会には熱く、芸の準備にも全力投球だった。営業中にコスプレグッズを買い、夜の会議室で練習した。Tバック一丁にも、江頭2:50にもなった。
毎朝8時から深夜まで働いて心身ともに疲弊していた。終電かタクシーで帰宅する日々だ。電車で帰る日は、寮の近くの中華料理屋で先輩や同期と深夜2時まで「夜の営業会議」だった。日によっては「9時5時」だった。朝9時から、朝5時まで働き、山手線で2周寝て出勤ということもあった。無茶な働き方をしていた。
ちょうど気晴らしにレンタルビデオで借りた唐沢寿明、鈴木保奈美、江口洋介などが出ているドラマ『愛という名のもとに』を見て、証券会社勤務の営業マン・チョロと自分を重ね合わせ、自殺してしまうシーンに「いつか自分もこうなるんじゃないか」と不安になった。
◆慰めてもらえると思った私は甘かった
ある日、一大決心して駅のキオスクで転職情報誌の『DODA(デューダ)』(学生援護会 当時)を買った。『B-ing』(リクルート 現在休刊)にしなかったのは、「リクルートなんかの世話になってたまるか!」という意地からだった。
営業中の電車で熟読した。しかし、あまり求人情報が載っていなかったうえ、経験者募集のものが中心だった。自分で応募できる案件は営業職のものだらけだった。いまは、ここにしがみつくしかないんだと思った。
そんな壮絶な新人時代だったが、当時、印象に残っている言葉を紹介しよう。
【1】「お前は負けたんや!もっと悔しがれ!」
当時のリクルートには「飛び込み大会」という荒行があった。大量の名刺とパンフレットと地図が渡され、それを持って、東京、大阪でそれぞれ約1週間、担当エリアのビルにくまなく飛び込み営業を繰り返す。名刺交換などポイント制になっており、その結果は、イントラネットで共有される。どの新人が勝つのかを予想する賭けまで行われていた。
想像以上の苦行だ。明らかに嫌な顔をされ、冷たくあしらわれる。暴言をはかれたり、名刺を破られたりもする。移動時間を稼ぐために一番上のフロアまでエレベーターで上がった後は、非常階段を降りる。しかし、途中で力尽きて、階段の踊り場でグッタリすることもしばしばだった。ついに、最終日には極度の緊張感と消耗から、倒れて救急車で運ばれてしまった。
初日、やる気もないのに、「1位になる!」と宣言して会社を飛び出したのだが、結果はビリ。しょんぼりして帰ってきたときに教育担当がかけた言葉がこれだった。慰めてもらえると思った私は甘かった。勝負の厳しさを学んだのだった。
【2】「お前、やりたいことないだろ?」
会社に対する嫌気がMAXになっていた一年目の9月頃、今の仕事がやりたいことと違うことをランチなどの場で同期に力説していた。
その時に、同期がポツリと言った言葉がこれ。やりたくないことはあっても、実はやりたいことなど何もないことに気づいた。末井昭氏の名言「若い奴は何かをやりたい、やりたいと言うが、実はやりたい衝動があるだけであって、やりたいことなど何もないのだ」にも通じる一言だった。
私にそう言った直後に、彼は会社をやめた。やりたいことのために転職したのだった。やりたいことがある人とない人の違いを思い知らされたのだった。
【3】「この企画書、何社に出したんだ?」
営業の効率を上げるために、汎用的な企画書をつくってプレゼンしていた際に、ある企業の部長から言われた一言。営業は顧客との真剣勝負。自分の甘さを見透かされ、猛反省したのだった。
【4】「もうすぐ新人が来る。お前に教えられることがあるのか?」
入社して半年が経った1月下旬、猛烈に忙しい日に上司と先輩に呼び出され、飲みにいくことに。遅れて到着し、乾杯した瞬間にこう言われた。黙って泣いた。
【5】「男の約束は、万年筆で書くんじゃ」
肝いりのアポ、大手を相手に画期的な案件を受注。申込書をもらう際、ボールペンで書くべきところを万年筆で書こうとする先方のキーマン。泣けた。
心に残った一言と言いつつ、辛い話だらけになってしまった。社畜だったんだな。でも、岡本真夜の「TOMORROW」状態で。汗と涙(時に血)を流し成長したんだな。
若い皆さんは、別にこの中年の新人時代はまったく参考にならないだろう。真似しちゃだめだ。ただ、一つだけ。人生は意外に長い。新人時代のどんな辛い体験も、笑い話になってしまうのは不思議なものだ。まあ、いろいろあるけれど、楽しむことをサボらずにいきましょうよ。
『社畜上等!』をよろしくね! 元気出るよ。
【プロフィル】常見陽平(つねみ・ようへい)
働き方評論家 いしかわUIターン応援団長
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。専攻は労働社会学。働き方をテーマに執筆、講演に没頭中。主な著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。
◇
【常見陽平のビバ!中年】は働き方評論家の常見陽平さんが「中年男性の働き方」をテーマに執筆した連載コラムです。更新は隔週月曜日。
関連記事