【ローカリゼーションマップ】「マイパブリック」に包まれる安心感 グランドレベルで何気ないリアルな交流を
人の何気ないリアルな交流は、ほぼ地上レベルでしか生まれない。
ビルのエレベーターでいつも見かける人と一緒になり会話を交わし、屋上でぼんやりとしている時に何となく見知らぬ人と話す。こういうことがないわけではないが、ある空間にごく自然に人が集まり交流が生まれる、というのは屋外で発生する現象だろう。
人が空を飛んでいるわけでもないので、当然、地上レベルである。それにも関わらず、人の交流を促進する気がないとしか思えない街並みがそこかしこにある。特に、東京の一部がそうだ、と大きな声で指摘し「なんとかしようよ」と自らの身体を動かしてしまうのが田中元子さんである。
お酒を自分では飲めないのに「ちょっとウチの事務所のバーカウンターでおしゃべりしない?」と友人知人を誘いはじめ、それでは外に世界が開けきれていないと感じると、移動式の屋台をつくり街に出てコーヒーを振る舞う。
それもこれも、自分なりの心地よい「パブリック」を作っていくためだ。彼女はそれをマイパブリックと呼ぶ。「街づくり」や「場づくり」という気の抜けた言葉から距離をもち、他人が「はて?」と一瞬思う言葉をひねり出す。
いや、一瞬思うどころではない。かなり説明を聞かないと分からない言葉であるが、それでも、「こう表現したい!」という気持ちはスッと伝わる(のではないか、と思わされるものがある)。
晶文社の編集者と大いに口論して、田中さん発案のこのタイトルがやっと受け入られたに違いない『マイパブリックとグランドレベル』という本は、こうして生まれた。
街ゆく見知らぬ人を喜ばせる活動をしてきた田中さんの言葉に編集者は心動かされ、その言わんとする重みをそのまま受け止めたのだろう。
この本で主張することは一つしかない。
日本の都市計画はグランドレベル(地上レベル)に賑わいを生むことをほぼ考えていない。「どうにかしろ!行政から不動産会社まで顔を洗って出直せ」と(そんな乱暴な表現を田中さんは使っていませんが)。
外面のいいキャッチフレーズでコミュニティーつくりに気配りしている風を装うが、「どうせ自分が立つ場所で、世界を広げてみた経験なんてないだろう? どうしてそういう人間が、コミュニティーを語れるのだ」と繰り返し言いたくてたまらない田中さんの姿が見える。
肩肘はった「場のコミュニケーションを促進する」なんて謳い文句は、行政や大企業の予算獲得の表看板に過ぎない虚しさを感じ続けてきたのだろう。
だから彼女は、一昨年、グランドレベルという壮大な名の会社を作った。そんな大きなサイズのことはできないが、確実に実のある世界をみんなに見せてやろう、という意気込み溢れる会社である。
その1つの試みが昨年12月、都内・両国にオープンした喫茶ランドリーだ。住宅地の一角にあるビル一階に、その店はある。カフェなんて気取らない喫茶店であるが、ホッとする空間が通りを歩いていると目に飛び込んでくる。
「ああ、オシャレですね!と言われると、ダメ。それではまだふつうの人に距離感をもたれてしまう」と田中さんは語る。
この喫茶ランドリーは、近隣の人たちがまったく気兼ねなく集まってくることを想定した場所だ。洗濯をしながらアイロンをかけ、1人だとしんどいなと思う時間を気楽にお喋りしながら過ごせる。
ここに洗濯機からミシンに至るまで機能的なものがあるが、その機能を目当てに人が来ることが目的ではない。例えば、ここの大きなテーブルを使って数人がパンを練り、それを歩いてすぐの自分の台所で焼く。こういうパターンが嬉しい。
何かをするきっかけをもらえる場であれば結構だし、何かをしないといけないというプレッシャーさえからも解放されることを狙っている。
店内の様子を街ゆく人が横目で眺めながら通り過ぎ、ある日、「今日、暇で時間を持て余しているから、なんかあそこに行けば時間つぶしになるかも」と思いつき、店内に初めて足を踏み入れる。そこで、話の合う近所の人と知りあったらラッキーとしか言いようがない。
この場を「屋内型ベンチ」と名付けてもいい。
多くは期待しない。何もかしこまったカタチを求めない。でも、なんとなく息をつげる空間が近くにある安心感がある。十分過ぎるほど十分だ。
気楽に日常生活を送ることに肩の力が入り過ぎてはいけない。マイパブリックとは、そういう思想である。(安西洋之)
【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)
ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。
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