君たちはどう辞めるか 3回会社を辞めた私が考える「サラリーマンの理想の引退」

 
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【常見陽平のビバ!中年】

 春はお別れの季節である。異動、転職、さらには定年退職などだ。その時に、彼ら彼女たちを見て、立ち止まって考えて欲しい。170万部のベストセラーになっている『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎・作 羽賀翔一・画 マガジンハウス)風に言うならば、「君たちはどう辞めるか」だ。転職するにしろ、定年退職まで働くにしろ、自分はどう働き、どう身を引きたいのかを考えてみよう。

 会社員にとっては「引き方」「辞め方」は自分で選べるとは限らない。異動に関しては、自分たちの都合では決められない。定年退職前に会社を飛び出したいという衝動に駆られる人もいるかと思うが、家庭の事情でそうはいかないという人もいるだろう。いわゆる「嫁ブロック」だ。とはいえ、自分の理想の「引退」については考えておきたい。

◆西部邁と田原総一朗の引き際

 「辞め方」という点では、中年としてはバンドの解散、歌手やスポーツ選手の引退のことを思い出してしまう。

 氷室京介、布袋寅泰などが在籍したBOOWYの解散などは、中年的にはしびれるものではなかったか。全盛期の1988年に解散。2016年に氷室京介がライブ活動を引退した際に、布袋寅泰が共演をほのめかすような発言をするも実現はしなかった。そう、解散後、氷室と布袋は公の場では一度も共演していないのである。リスペクトしあいながらも、交わらないのだ。

 同じく中年として語りたくなってしまうのが、松井秀喜の引退だ。1974年生まれの私にとっては、同世代の英雄だ。なんせ、高校時代の5打席連続敬遠が懐かしい。ちょうど私も高校3年生だった。自分は何者でもないのに、ここまでの怪物が同世代にいるのかと驚いた。

 その後の大活躍は説明不要だろう。平成という時代を代表する名スラッガーであり、国民的スターである。選手生活の終盤は故障も続いた。それでも打席に立とうとする姿に涙した。日米通算507本塁打という記録を持つ英雄は20年間の選手生活を終えた。

もっとも、どのような引き際が理想なのか。これは人により異なるだろう。

 先日、評論家の西部邁が自裁した。彼は高校の先輩だ。学生時代に私が『朝まで生テレビ!』の観覧席から絡んでバトったこともある(仲裁に入ったのが、宮台真司だった)。悲しい出来事だったが、家族や社会に頼らないという潔さ、彼なりの美学を感じた。その朝生の司会者、田原総一朗は生涯現役を志向し、放送中に死ねたら良いと発言している。

 さて、どちらの道を支持するか。

◆あのカリスマ経営者はいつ辞めるのかという問題

 ビジネスに話を戻そう。同世代として最も気になっているのは、サイバーエージェントの藤田晋社長が、いつ、どのように辞めるかという件だ。

 約20年前、私が若手社員で社畜街道まっしぐらだった頃、同世代の彼はサイバーエージェントを起業し、注目を集めていた。意識高い系会社員だったその頃の私は、彼の著書を貪り読んだものである。

 サイバーエージェントには、事業戦略にあわせ、2年ごとに原則2名の取締役を入れ替えるユニークな人事制度がある。しかし、藤田氏は創業以来、社長から降りたことはない。入れ替えがあるとはいえ、取締役の顔ぶれも大半が2000年の上場前後に入社したメンバーだ。「21世紀を代表する企業」と名乗る割には、経営陣のあり方は旧来の日本企業そのもの、いや、それ以上のように硬直しているようにも見える。

 そんな彼はいつ社長を引くのだろうか、気になってしょうがない。これはあくまで個人的な予測というか妄想ではあるが、40代のうちに社長を降り、平の取締役になったり、関連会社社長になったり、一度、完全にファウンダーという肩書になり、完全に外にでて自由な活動をしたのち、何度か復帰するのではないかと見ている。あくまで妄想だが。

 そういえば、日本電産の永守社長が退任することが発表された。ドワンゴの創業者、川上量生氏も、代表からおりた。孫正義氏、柳井正氏、三木谷浩史氏などはどのように引退するのだろうか。

 もっとも、経営者というものは必ずしも理想の辞め方を実現できるわけではない。責任をとって辞任せざるを得ない場合もあれば、後継者が育たず続投し続けなければならないことだってある。後継者の引責辞任などのために、復帰せざるを得ない場合だってある。

 実は会社員の方が、定年退職の時期は決まっているし、自分で辞め時を決められるともいえる。つまり、「どう辞めるか?」のコントロールがし易いのだ。

◆辞め時をコントロールする

 この、「いつ、どう辞めるか」を考えることはキャリアデザインそのものだ。私は、正社員としては3回、会社を辞めたことがある。1回目は31歳の時に、リクルートを辞めたとき、2回目は34歳になる直前にバンダイを辞めた時、3回目は38歳になった時にベンチャー企業を辞めた時だ。

 少なくとも自分にとっては、悪くない辞め方だったのではないかと思っている。「そろそろ出る時だよな」と自分の中では納得感があったからだ。周りもそんな反応だった。会社の中でやりたいこと、やるべきことはやりとげた感じで、自分はそろそろ離れるべきだと感じたというのが、すべての共通点だ。

 ホンネを言うならば、リクルートを辞めた31歳の時は、同期が課長や副編集長になり始めた時期で、やや焦りを感じつつも、自分はそうなりたいかというとそうでもなく、会社の方向性にも疑問を感じることが多くなってきた頃だった。

 バンダイを辞めた時は、そろそろ大きな会社で小さなことをするよりも、小さな会社で大きく、自由なことをする時期だと感じたからだった。ベンチャーをやめた時は、ちょうど大学院進学が決まった頃だったのと、私を担当に指名する仕事、メディアでの仕事が増えた頃で、そろそろ独立するべき時かなと思ったからだ。

 もっとも、20代の頃から異動シーズンになるたびに、今の部署や職種のままでいるか異動するかだけでなく、転職も視野に入れて、変化のタイミングを探していた。このように、選択肢があることは常に意識しておいた方が良いのではないかと思っている。また、何か変化を起こすときは、何かを成し遂げた時であり、さらには次のステージへの助走期間をつくっておいたのもポイントだ。

 「人生100年時代」という言葉がバズワード化している。賛否はともかく、ずっと働き続ける時代、定年という概念も変化する時代になることが想像できる。こういう時代だからこそ、「定年」だけでなく、「何」を「いつ」まで続けて「どう」辞めるかを考えなければならない時代になりそうだ。

 君たちはどう辞めるか?

 最後に、この春、異動や転職、退職が決まっている中年へ。挨拶で『北斗の拳』のラオウの真似して「我が生涯に一片の悔い無し!」と叫ぶの、やめれ。若い人には分からない。以前、そんな挨拶をして一生後悔している人がいるんだぞ。

【プロフィル】常見陽平(つねみ・ようへい)

千葉商科大学国際教養学部専任講師
働き方評論家 いしかわUIターン応援団長
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。専攻は労働社会学。働き方をテーマに執筆、講演に没頭中。主な著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

【常見陽平のビバ!中年】は働き方評論家の常見陽平さんが「中年男性の働き方」をテーマに執筆した連載コラムです。更新は隔週月曜日。

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