77歳の龍谷大院生、総代として修了式に…生死の淵さまよい僧侶に 「命ある限り学び続ける」

 
緩和ケア病棟のボランティア仲間と談笑する永江武雄さん。77歳で、龍谷大大学院の修士課程を修了する=京都府城陽市

 龍谷大大学院実践真宗学研究科3年の永江武雄さん(77)=大阪府島本町=が17日、修了式に当たる学位記授与式に、総代として臨む。龍谷大によると、今年修了する院生では最高齢。生死の淵(ふち)をさまよう大病を患って勤め先を定年間際で退職し、浄土真宗の僧侶になった永江さんは、そうした経験を生かして緩和ケア病棟で取り組んだ活動を修士論文として執筆した。「命ある限り学び続けたい」。意欲は尽きない。

過労死寸前で

 永江さんは18歳で旧国鉄に就職。昭和62年の分割民営化の前後10年間を、国鉄労働組合(国労)の専従役員として過ごし、合理化をめぐる厳しい労使交渉に当たった。

 身も心も削る激務の末、急性肝炎で倒れた。医師からは「きわめて危険な状態」と宣告された。当時52歳。生きるとは、命とは何か。過労死寸前で一命を取り留めたことで「その答えを、仏教に尋ねたい」と決意。実家の宗旨である浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の通信教育で仏教を学び、59歳で退職。平成11年に得度して僧侶となり、翌年、龍谷大に進学した。

 「会社勤めが終わってからが、やりたいことができる本当の人生。私の場合は、それが学びだった」

ケアを学ぶ

 27年に改めて龍谷大大学院へ進んだのは、東日本大震災を機に始まった「臨床宗教師」の養成研修を受けるためだった。生死の苦悩を和らげる宗教者の専門職だが、「患者さんとご家族のお役にたちたい」という思いがあった。

 本願寺派が運営する緩和ケア病棟「あそかビハーラ病院」(京都府城陽市)で、心のケアに当たる常駐僧侶やボランティアを務めてきた。花をいけ、コーヒーをいれて病室を回り、終末期のがん患者や家族と話をする。「迷惑に感じているのではないか」。それでも患者たちは、人として避けられない4つの苦しみである「生老病死(しょうろうびょうし)」と人生の楽しみを、命をかけて教えてくれた。だからこそケアについて基礎から学び直そうと考えたという。

 大学院の講義とは別に、東日本大震災の被災地などで150時間の実習を受けた。その際に、支えになった言葉がある。「Not doing,but being」。何かをすることではなく、側にいることが大切という意味だ。「感謝と尊敬の念をもって患者さんに寄り添う」と覚悟を決めた。

苦難の提出

 修士論文の表題は「緩和ケアにおける仏教者・僧侶の役割に関する研究」。仏教からの学びと、緩和ケア病棟での自身の活動の集大成として、医療と仏教の協働の可能性を考察する労作となった。

 しかし一昨年に膀胱(ぼうこう)がんの手術を受け、昨年末から尿道カテーテルを使っている。体がだるく、集中力が続かない中で論文をなんとか書き上げた。さらに、4月からは修士課程の修了後に研究を継続できる特別専攻制度を使う。論文を加筆・修正し、よりよいものにするためだ。同時に、あそかビハーラ病院でのボランティアも続ける。

 77歳で迎える「新たな挑戦の春」。永江さんは言う。

 「学問と活動を結びつけ、医療と仏教の協働について深く考えること。仏教者・僧侶である私にとって、それが命ある限りの役目だと思っています」