英国のプレミアム・スポーツカー・メーカー、アストンマーティンのヴァンテージに、実に興味深いモデルが追加された。なんとマニュアルミッションモデルが追加されたというから驚きである。
マニュアルミッション。そう、つまり、クラッチペダルを持つ3ペダル方式である。コンソールボックスから伸びるシフトレバーを前後左右にスライドさせながら走らせる、アレである。
なぜ今さらMTを投入するのか
オートマチック限定免許の所有率が高まり、日本国内のマニュアル免許の取得比率は4割を下回った。マニュアルミッションに馴染みのない世代も少なくない。海外でのマニュアル普及率はいまだに高いとはいえ、機構的にはマニュアルミッションと同質でも、クラッチペダルを持たない2ペダルシステムも普及している。いわば3枚のペダルを持ち、シフトレバーを操作しながら走らせるスポーカーは、減りつつあるように感じる。
そんな時代に、アストンマーティンはマニュアルモデルをリリースした。なぜいまさら3ペダルマニュアルを開発するのだろうか…。
その理由は明確である。古き良き、クルマを操る楽しさの再確認である。運転の主役がドライバー自身に委ねられていた時代への未練でもある。
技術的な進歩が効率化を推し進め、クルマが自らの意志で動き始めるようになった。その延長線上には自動運転が待ち受けている。残されたそれまでの時間、ドライバーが主役であることの喜びを噛み締めるためのクルマが、ヴァンテージのマニュアルモデルなのだ。
今、クルマは二極化の時代を迎えている。ドライバーの「選択」という楽しみ。移動手段としての「効率」という要素。大別して、そのふたつにはっきりと分けられている。ヴァンテージ・マニュアルモデルは前者である。
実際にドライブすると、ちょっと汗を掻くことになる。クラッチペダルを踏み込むと、反力の強さに左脚が驚いた。冷静に振り返れば、女性のか細い脚力でも全く問題ない程度の重さなのだが、久しく左足に仕事をさせていない僕にとっては重く感じたのだ。ちなみに普段、僕が闘っているレーシングカーにはクラッチペダルがない。
ギアは7速に刻まれている。つまり、1速→3速→5速→7速の奇数ギアは後列(手前側)に並びに、前列のゲートはR→2速→4速→6速へと導かれる。限られたシフトレバーの可動域のなかでそれぞれ密接に4つに分けられたゲートに吸い込ませるのは簡単ではなく、たびたびシフトミスを犯しているけれど、それを攻略するのも楽しみのひとつ。「選択」は「戸惑」でもあるのだ。
ちなみに、シフトダウン時にエンジン回転数が自動で同調される機能も備わっている。本来ならば、ドライバーが右足の踵を起用に曲げながら、ブレーキペダルに足を添えてアクセルペダルを煽る「ヒール&トー」を代行してくれるのである。
操る楽しさ、主役になれる喜び
搭載されるエンジンは4リッターV型8気筒ツインターボ。最高出力510ps、最大トルク63.7kgmを搾り出す。AMG製であるそれは、極低回転域からモリモリとトルクを引き出していながら、7000rpmオーバーの高回転域まで弾ける。例えば、3速で発進するのもまったく問題はないほどの柔軟性があるのに、そのまま加速を続けていると、314km/hに達するというから驚きである。実際に今回、試乗ステージとなったアウトバーンで、最高速度に近い数字をあっさりと確認している。
ドイツのカントリーロードでの半日のドライブを終えると、ちょっと心地いい疲労を感じている自分に気がついた。運転という仕事量の多さに、改めてドライビングの楽しさと主役であることの喜びを感じたのである。マニュアルモデルとのドライブなら、ドライバーが主役になれる。そんな気がした。
【試乗スケッチ】は、レーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、今話題の興味深いクルマを紹介する試乗コラムです。更新は原則隔週火曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【クルマ三昧】はこちらからどうぞ。