【ローカリゼーションマップ】自分が住む外国批判を続けると「コミュニティーに入れないかわいそうな人?」
イタリア人の友人から1冊の英語の本を手渡された。
「この米国人の書いた本を読んで、日本人としての意見を聞かせてくれない?」と。それは日本に詳しい米国人がおよそ20年前に書いた日本文化批判の本だった。
日本を旅してきたばかりで、日本文化がより好きになったイタリア人の彼女は、この批判があまりに重すぎ、筆者の過剰反応ではないかと疑った。日本人のぼくの口から内容に関する「判断基準の設定の仕方」について聞きたかったのである。
確かに重量級にストレスフルな内容だ。バブル経済崩壊以降の「沈みゆく日本」を意識した指摘の数々は、あの時代に日本の人が日本語で記述していたもので見慣れていたので(今もその手の論調は残念ながら継続しているが)、そうした厳しい表現をしたくなる気持ちが分からないではない。しかし、米国人が英語で同じようなことを書くと違った印象になる。それをどう説明したら適当か、少し考えた。
そういえば、この数年、ある英国人の書いた日本経済へ意見した本がよく売れている。よくここまで日本のことを調べているものだなと感心するし、意見には頷く部分も多い。その彼の本を思い出しながら、ネット上で散見する外国に住んでいる日本人の居住国批判の数々も頭に去来する。そして、次のようなことを思う。
自分が住んでいる「外国」を批判する意味は何だろう?
ぼくも欧州やイタリアをネタに書くことが多いので、このテーマはいつもついてまわる。
イタリア人もイタリアの政治・経済・文化批判を延々と飽きずにやっている。欧州人は「沈みゆく欧州」という悲観的な見方を語るに熱心である。1世紀以上も続いている!
だからといって、外国人であるぼくが「そうだよね、そうだよね」と同意していると、相手は口には出さずとも「君は本当に分かって頷いているのか?」と問われているような気がする。
「軽く一度頷く程度ならいいが、お前にそんなに強い口調で批判される理由はない」と言われれば、それもそうなのだと思う。たぶん、このニュアンスは、どこの国でもあまり変わらないと思う。
日本にいる外国人があまりに日本批判を目の前ですれば、日本人もだんだんと不愉快な気持ちになるはずだ。「自分で言うのと人に言われるのは違う!だいたい、あまりに一面的な経験に基づいている批判だ!」と。
その一面の経験は外国人であるがゆえに「見えた部分」であり、最初は「なるほど、我々には見えないところだ」と持ち上げる。だが調子にのって批判のボルテージをあげると、「コミュニティーに入り切れていない可哀そうな奴」とみなされかねない。
人って、そういうものでしょう?
それでは外国人の目には触れにくい言葉で話し書けばよいのか?つまり、ぼくの場合であれば、イタリアや欧州のことを日本語で批判するとのパターンである。
ストレス発散にはなるかもしれない。あるいは日本の人から「出羽守ではない(外国の事例を肯定的に引き合いに出してばかりいない)」と認知されるには良いかもしれない。だが、それ以外に何かよいことがあるだろうか?
この連載でぼくが外国について批判的にどの程度書いたか覚えていないが(何せ、今回で371回目のコラムだし)、そう厳しい表現をしていないように思う。どちらかといえば、日本文化を批判的に描いた方が多いはずだが、それも最近はあまり書かないようにしている。
誰が違う文化をどう解釈したかという話は積極的に書きたい。まったく当たり前だと思っている現象や考え方が、違った文化の人からみると意外な捉え方がされる。良い悪いはさておき、そういう多彩な解釈の例を書こうとは努めてきた。
それでも、多分、ある一定の割合の人たちは、ぼくの指摘することを「出羽守だ」とみるだろうことを覚悟している。こういうのは、そう見られないことに気を使い過ぎると、なおさらドツボに嵌る。「いや、ぼくはそういう意味で言ってるのじゃない!」と弁解すればするほど、ろくなことはない。誤解されるなら、それはそれで仕方がない。
さて、冒頭に紹介した米国人の本、なんとイタリア人に説明しようか。
「米国人が英語で外に向けて日本文化批判していると分かれば、日本の人も問題を直視するのでは?との思惑で書いたのでは?」とでも言えば良いのだろうか。日本の人は外圧に弱いと自覚していて、それを有効利用する人たちは多いから。
いや、それではありきたりな解釈に過ぎるかもしれない。もう少し考えてみよう。
【プロフィール】安西洋之(あんざい・ひろゆき)
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
Twitter:@anzaih
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。
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