他人の相談にのることが昔から多い。今から考えると、若い時は相手の人生に踏み込み過ぎた。相手の意向や気持ちよりもぼくの論理が先行し、余計なことを沢山言ってしまった(今も言っているけど…)。
イタリアに住み始めた頃、ぼくの人生の師匠から「暇な人に相談するとろくなことがない」と言われた。まさに、ぼく自身がその「暇な人」だった。
まったく人の面倒をみている立場でもなかったが、「人に寄り添った気になる」というのは、自分自身の空洞感(あるいは空腹感?)を救ってくれるに役立つ。相談した本人にとってはたまったものではない(みなさん、ごめんなさい)。
数多の経験を積んできた現在、アドバイスするにあたっての自分なりの方針がある。いつもその方針が守れているかどうかは別にして、こんなところではないか、というラインは少なくてもいくつかある。
例えば、以下のようなことだ。
「好きなことをやれと言うセリフが世には出回っているが、20代は得意なことで仕事をして、30代半ばあたりから、だんだんと好きなことと得意なことのバランスを変えていくのがいい」
「好きな人と嫌いなものを食べるか?嫌いな人と好きなものを食べるか?好きなものを嫌いな人と食べても、美味しくないし、そこからその料理が嫌いになるかもしれない。だから、好きと嫌いという基準は重んじながらも、好きと嫌いの境界線はたいしたことがない、という認識は同時にしておいた方がいい」
大学生に卒業後に勤めるのが大きな組織がいいか、小さな組織がいいかと聞かれれば、どちらでもいいと答える。かつてなら産業構造の上部にある業界から下るのが転職しやすかった(重厚長大から流通へ、というような)。大きな組織の意思決定のプロセスを知っておくのがプラスだと思うなら、なおさら最初に大企業に入っておくしかなかった。