鉄道業界インサイド

新幹線の運転士が列車を止めてトイレに行っても、波風が立たない社会に

枝久保達也

 処分理由は「トイレ」ではなかった

 5月16日午前8時14分ごろ、東海道新幹線の運転士が走行中に運転席を一時離れるという事象が発生した。JR東海によれば、熱海駅-三島駅間を走行中の「ひかり633号」新大阪行き列車の担当運転士は、小田原駅到着前に腹痛を感じたため、運転を代わってもらおうと車掌を運転席に呼んだ。

 東海道新幹線では運転士を務めた後に車掌に異動することもあり、車掌が運転免許を持っているケースは珍しくはないという。しかし、熱海駅を通過後、運転室に到着した車掌は新幹線の運転免許を持っていないことが判明。それでも運転士は腹痛に耐え切れず、車掌に前方安全監視を依頼し、客室のトイレに行ってしまった。

 その後、当該運転士から三島駅の通過が1分遅れたと指令所に報告があり、状況を詳細に聞き取りしたところ、上記内容が判明した。運転士が運転席を離れていたのは約3分間、運転士が運転席を離れた際の走行速度は時速150キロ程度だったという。

 この“事件”を受け、JR東海の金子慎社長は赤羽一嘉国土交通相に対し、「あってはならないことで申し訳なく思っています」と陳謝。これに対し、赤羽国交相は「運転士が輸送指令に連絡できなかった理由について社内の雰囲気を含めて検証し、詳細な事実関係の報告と再発防止を徹底」するよう指示した。

 運転士は乗務前の水分を控えるなど厳格な自己管理を行っているが、それでも突発的な生理現象は仕方ない。JR東海の社内規定では走行中にトイレに行きたくなったり、体調が悪くなったりした時は輸送指令に連絡し、その指示を仰ぐことになっている。

 輸送指令は、運転資格を持つ車掌がその列車に乗務していれば運転を代わってもらうよう指示し、乗務していない場合は途中駅に臨時停車して救護やトイレに行く対応を取るという(次の駅までの距離などを考慮し、緊急の場合は駅間に停車して対処することもあり得るそうだ)。今回、運転士が輸送指令に連絡することなく車掌に運転の交代を求めたり、走行中に離席したりするという行為は、同社の規定に反するものであった。

 このニュースが報じられるとSNSでは「トイレに行って処分されるのはおかしいのではないか」との声もあがったが、あくまでも処分の理由はトイレに行ったことではなく、輸送指令の判断を仰がず、無断で運転席を離れたことにある。正規の取り扱いをした上で、列車が遅れていたとしても、そのことによって処分されることはなかった。

 「プロとして腹痛で列車止めるのは恥」

 問題は、運転士がそういう正規の手続きを行わなかった理由である。赤羽大臣が「社内の雰囲気も含めて検証」と言っているのも、運転士がトイレに行きたいと言い出しにくい空気があったのではないかということだ。

 JR東海によれば、運転士がトイレに行きたくなったという理由で新幹線が臨時停車したケースは過去10年で1件もなかった。また、当該運転士は「プロとして、こんなことで列車を止めるのが恥ずかしいと感じた」と述べたという。トイレに行きたくなっても列車を止めないのが「プロ」であり、そうした手配を取ることは恥ずかしいことだとの意識が現場の一部にあったのは間違いないだろう。

 だが、プロであるからこそ、突発的な体調不良にはしっかりと対応すべきであったし、ましてや運転席から離席するということは、安全上あってはならないことである。JR東海は今後、正しい手段で輸送指令に申告するよう、乗務員に徹底したいと語るが、社員が言い出しやすい労働環境を整える必要もあると指摘しておきたい。

 もうひとつ。今回の件を受けて、運転士が1人で乗務していることへの疑問の声もあった。しかし、トイレや体調不良のためだけに運転士を2人にするというのは、経営上の観点からも、人材確保の面からみても考えづらい。新幹線に乗務する2人の車掌のうち、1人は運転資格を有する者にするという考え方もあるが、運行を継続しながらトイレに行ける体制を無理に構築するよりも、ちょっとくらい列車を止めてトイレに行っても波風が立たない社会にする方が健全だろう。

枝久保達也(えだくぼ・たつや) 鉄道ライター
都市交通史研究家
1982年11月、上越新幹線より数日早く鉄道のまち大宮市に生まれるが、幼少期は鉄道には全く興味を示さなかった。2006年に東京メトロに入社し、広報・マーケティング・コミュニケーション業務を担当。2017年に独立して、現在は鉄道ライター・都市交通史研究家として活動している。専門は地下鉄を中心とした東京の都市交通の成り立ち。著書に「戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団」(青弓社)。

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