
越智俊二さんが作った陶芸作品を手に、俊二さんとの思い出を語る須美子さん【拡大】
30年近く、厚生年金保険料を支払い続けていた俊二さん。もしも在職中に診断を受けていれば、障害厚生年金が月20万円程度、支給されるはずだった。だが、初診日が在職中であることが要件になっており、受給できない。「きちんと保険料を支払っていたのに、受給資格がないなんて…」。須美子さんには、納得できない思いを抱えつつ必死に働き、俊二さんを介護した。
俊二さんはやがて、16年10月に京都市内で開かれた「国際アルツハイマー病協会国際会議」をはじめ、さまざまな講演会で、認知症当事者としての思いを発表するようになる。
「母さん(須美子さん)は、私の現役の時よりも働いています」「働きすぎて、からだを壊すのではないかと心配です」「病気が治って、選手交代をして楽にしてあげたい」…。その言葉には、妻に経済的負担をかけていることへの申し訳なさがにじみ出た。
俊二さんは17年ごろ、こんな詩を残している。
自分のものわすれということが
どうして
こんなになったのだろうかと
くやしい
字がでてこない
頭からでてこない
(略)
俊二さんは21年、肺炎をこじらせて亡くなった。62歳だった。
全国に若年性認知症の人は約3万7800人、6割が「収入減った」
「若年性認知症になった人の多くは、自分の症状を家族にも話さない。一人で抱え込んで職場でも孤立し、診察を受ける機会のないまま、退職してしまうのです」と須美子さんは訴える。