「OSを変える」「解像度をあげる」という比喩は、ぼく自身も初めて聞いたときは、気の利いた表現だと感心した。しかしながら、あまりに多くの人が無意識に使っているのに接し、だんだんと別の想いが浮上してきた。
このように使う言葉が変化していくのに良い悪いもないが、ある程度はこの変化に自覚的になるのが良いのではないか。
こんなにテクノロジーの言葉に発想を頼りきっていいのか、と。
比喩がその社会に生きる人たちのメンタリティを表現する記号であるとすれば、この比喩が成立する背景を軽く見過ぎてもいけない。
つまりビジネスやテクノロジーの比喩に依存する割合が高くなると、それだけ人々を比喩とする土壌を忘れていくことになる。
時代の空気にうまくのせた表現をしたつもりであったことが、実は人々がもつ大きな財産を散逸させることになるかもしれない。やや大げさかもしれないが。
こう書きながら、今さら何を言っているのか、と自問自答しないでもない。こんなこと、大昔から散々言われていることではないか。
しかしながら、このテーマに一言触れておきたい気分なのだ。
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