よみがえるトキワ荘

取り壊し現場で「リボンの騎士」天井板に (1/2ページ)

 「これは格好の“まちネタ”になるぞ」

 昭和57年11月下旬、警視庁池袋署の記者クラブに戻ってきた記者たちは、仕事をしていた他社の記者たちに店で聞き込んできたネタを教えた。「手塚治虫たちが暮らしたトキワ荘が取り壊しになる」。その店とはトキワ荘近くの中華料理店で、藤子不二雄の「まんが道」にも出てくる「松葉」だった。

 彼らは豊島区周辺を示す警察用語「5方面」が担当。当時本紙社会部記者だった安藤徹さん(69)も含まれていた。若手記者たちは漫画好きが多く、このネタを手分けして取材することになり、安藤さんは手塚の談話を任された。

 プロダクションに電話したが、本人は不在。担当者は「後から電話させます」と話したが、漫画の神様が自分からかけてくるとは思えず、机の上に脚を投げ出して、のんびりとくつろいでいた。すると、記者クラブの電話が鳴った。

 「『手塚です』と言われて、『どちらの手塚さんですか』と聞いたら、『手塚治虫です』と。直立不動になったよ」

 慌てて談話を取った。「貧しい仲間たちと一緒によく鍋を囲んで、その煙が充満してね。懐かしいことこの上ない」。そんな趣旨で手塚はトキワ荘の思い出を語ったという。「とにかく気さくで飾らない人だった。人柄の良さを感じた」

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