クルマ三昧

あおり運転の被害を減らすために…「あおられた側」の“体験共有”が大事 (1/2ページ)

木下隆之
木下隆之

 「あおり運転」の事件が後をたたない。茨城県の常磐自動車道で男女が乗るクルマが後続車を強制的に停止させ、暴力をふるった一件は記憶に新しい。そんな事件が連日報道されている最中でさえ運転不適格者はさらに悪事を繰り返す。愛知県の東名高速道路でエアガンを乱射した男が警察に出頭したというから呆れてものが言えない。

 知りたいのは、「あおり運転された側の運転」

 どちらの犯罪者にも共通しているのは、その行為があきらかに常軌を逸している点であろう。

 「パッシングしても道を譲らなかった」

 「ブレーキを踏まれて追突しそうになったので腹がたって撃った」

 あきらかな自己中心的な思考である。精神医学の専門家の多くはその異常な行為を「反社会的パーソナリティ傷害」という。「ハンドルを握ると人が変わる」と感じるドライバーは少なくない。だが、高速道路上で停止させ暴力をふるうことや、ましてやエアガンを撃つといった行為はもちろん、正常な人間がすることではない。あきらからに運転資質の欠格であろう。厳罰化と共に、すくなくともそれが病気であるならば完治するまでは何らかの監視が必要だし、運転の機会を与えて欲しくはないと思う。

 一方で知りたいのは、「あおり運転された側の運転」である。あおる側の運転だけでなく、あおられた側の運転スタイルにも気を配る必要がある。

反社会的パーソナリティ傷害の可能性のある容疑者が頭に血がのぼった瞬間の、つまり「パッシングしても道を譲らなかった」とはどのような走行のことなのか、「ブレーキを踏まれて追突しそうになったので腹がたって撃った」と語るブレーキングとはどんなだったのかを知ることで、痛ましい事故の再発防止に役立つと思うからである。

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