■嵐の夜には…
台風が縦断していった朝、晴れ渡った空を眺めて、なんだかしみじみしてしまった。一日、一日を愛(いと)しんで大事に生きなきゃなあ、みたいに。
そう、長い人生の中で何度か経験した激しい嵐の夜の後のこの澄んだ空の青さ。その空を初めて見たとき、子供心にもなにか生きている実感のようなものを覚えた気がする。
そして、今回はまた老年になって新たな体験をした。
夕食を終え、食堂棟を出て自分の家に戻り、テレビで台風のニュースを見ていたら、どこからか音がする。フロントからの一斉連絡かと天井のスピーカーを見上げたが何も言わない。
首を傾(かし)げていたら、なんとそれはスマホの警報音。気が付いて手にしたら、「黒川流域の住民は至急避難せよ」との警告だった。それが何度も、何度も。
確かに黒川は、われわれのコミュニティーのエリアの近くを流れている。でも、住居棟は丘陵地の高台にあり、川までは山道を徒歩で下って八分ぐらい。どう考えても水は届かない。
そもそも、指定の避難場所は歩いて行けないし。暴風雨の中を行くのも無理。外は真っ暗。
それにしても、私が黒川の近くに住んでいることがなぜわかり、危険をこうも熱心に知らせてくれるのか。ここまでやるってすごいとも思えるし、知られすぎている怖さもあり、いささか頭が混乱してしまった。
その間も、テレビではNHKが台風状況を流しっぱなし。これを私も見っぱなし。千曲川、多摩川、阿武隈川…誰もが知る名高い川が次々と氾濫したということが、実況さながらに伝えられてくる。
なんとたくさんの川が、この国には流れていることか。その川と共に暮らす私たちなのだと再認識させられ、激しい嵐の中を救出に向かう人たちの姿に胸を打たれてしまった。
翌朝には、氾濫しかけたという黒川がどうなっているか見に行かずにはいられなくなった。
いつもはのどかに穏やかに流れているその川は白波を逆立てて、ごうごうと音を立てていて、思わずひるんだ私だった。
よく見ると、川へと下る山道の土手のあちこちから水が噴出して川の本流へととめどもなく流れ出ている。山がため込んだ雨量のすごさを思い知らされてしまった。
そんなわけで、この日は誰かと会えば、「やっぱり一人じゃ怖い、台風には立ち向かえない」と言い合い、お互い寄り添い合って暮らさねばと、殊勝な気持ちになったのだった。(ノンフィクション作家・久田恵)