ゆうゆうLife

家族がいてもいなくても(615)

 ■父にも、その日は突然きた

 介護の本に「認知症は、脳にβアミロイドが沈着するのが原因と言うが、入院して3日でぼけた人をたくさん知っている」という趣旨の箇所があった。

 ふむ、と私は思った。

 「父はどうだったんだろう」と。病院で診断を受けなかったので、父が認知症だったのかはわからない。が、確かに毎日一緒に暮らしていたその彼にも、その日は突然きた気がする。

 「昨日とはまったく違う今日のお父さん!」と、昨日と今日のあまりの格差に愕然(がくぜん)とした日があったのだ。

 私はパソコンに自分の履歴データを作ってある。

 確かめると、2003年に「父の介護、始まる」とある。メモも書いた気がしてあちこち探すと見つかった。「今日のおじいちゃん」と名付けたファィルが。

 その時、父は86歳。異変は、母が逝って3年目に起きた。

 朝起きると、彼が朝食を作ろうとしたらしいが、途中で放棄してあった。なんかヘン、と思ったその日、父が何も告げずに家を出て行った。探しに行くと、よく行くオープンデッキの喫茶店にいた。店主によると、「カプチーノ」と注文はしたが、父はお金はもっていなかったとか。

 同じその日である。

 家に戻り、心細くなり「お母さんが亡くなって、寂しい」みたいなことを言ったら、「美知(母の名)は死んだのか!」と父が驚いて声を上げた。

 「だってだって、ずっとお母さんはいなかったじゃない」

 父が言った。

 「ヘンだとは思っていた」と。私は号泣しそうになった。

 通夜やお葬式の日は、妻の死を受け入れていないように見えた父は、お経の最中に眠っていたりした。でも、その後は立ち直った。一緒にイタリア旅行にも出掛けたし、自分の生前整理なども着々とはじめていた。

 遺言書を書いたり、書類を入れた貸金庫を開けるリハーサルを私に何度もさせたり、父は父らしいやり方で。その完璧さ故に私をうんざりさせていた。

 そんな彼に何が起きたのか。「妻の不在」の悲しみを耐え続けて、ついにそれが堰(せき)を切ってしまったのだろうか。

 「今日のおじいちゃん」の私のメモは3カ月で途絶えたが、次々起こる日々のハプニングが日常となったからだろう。悲しすぎること、辛すぎること、耐えがたいこと、そんなことが起きると、3日でねえ、分からなくなるのねえ、そう思うとなにか体の力が抜けていく。

 老いは、もう大変…。(ノンフィクション作家・久田恵)

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