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デマを見抜いた人も行列に加わる皮肉 トイレットペーパーが買えなくなる理由 (1/2ページ)

 トイレットペーパーがなかなか買えない。新型コロナウイルスの感染拡大で「トイレットペーパーが足りなくなる」というデマが拡散したことが原因とみられている。文筆家の御田寺圭氏は「人は不安を抱くとデマを信じてしまう傾向がある。デマの発信者を攻撃しても意味はない。倒すべきはデマであって人ではない」と指摘する。

 日本史の教科書で見た「あの光景」が現実に

 新型コロナウイルスの感染拡大につれ、使い捨てマスクだけでなく、トイレットペーパーやティッシュペーパーが店頭で品薄になっている。ここ数日、主にSNSで「マスクとトイレットペーパーの原料は同じ」「新型肺炎の影響でトイレットペーパーが今後なくなる」「トイレットペーパーを買いだめしておけ」といったデマが拡散したことが品薄を招いているようだ。業界団体や政府は「在庫は十分ある。冷静な行動を」と呼びかけている。(朝日新聞『デマ拡散、トイレットペーパー消えた 「在庫は十分」』2020年2月28日)より引用)

 かつて日本史の教科書で見た「トイレットペーパー買い占めに殺到する人びと」の光景を、まさか2020年にリアルタイムでお目にかかることになるとは思いもよらなかった。

 状況は瞬く間に拡大し、ドラッグストアや雑貨店の棚からはトイレットペーパーどころか、ティッシュペーパーや生理用品もその姿を消してしまった。「国内生産されている紙類が(マスクのように)なくなることはない」との呼びかけが続くなか、今度はスーパーマーケットから米が消えてしまった。「米の供給に影響はない」と落ち着くよう求めていると、さらに納豆が消えた。納豆がコロナウイルスに効果あり、という噂が流れたせいだという。ついには、「花崗岩がコロナウイルスに効く!」などと称して、その辺に落ちている石ころが高値で売りに出され、人びとはそれに群がっていった。

 かつてよりも「デマ」の影響力が大きくなった

 新型コロナウイルス対策を口実にした便乗商法が横行していました。マスクを無料配布するというメールが届いたり、金相場が上がるため金を購入するよう勧誘されたなどの事例が相次いでいるといいます。さらに、「石」までが。大手フリマサイトではコロナ対策として石が売買されていて、売り切れが続出しているものも。売られていたのはわずかな放射線を発する花崗岩(かこうがん)など。安いものは800円、高いものは1万2000円以上の値がついていました。(テレ朝news『「コロナに効果」と石がフリマで…便乗商法に警鐘』(2020年3月3日)より引用)

 店頭のみならずニュースやSNSでも「紙製品がなくなるのはデマだ」と再三の呼びかけがなされているにもかかわらず、もはやこの流れはだれにも止められない状況になっている。

 デマによって一度火がついてしまった集団的パニックは、情報コミュニケーション技術が発展した現代社会において、ますます克服困難になっている。デマはかつてよりもその影響力を強めており、今後の大きな社会的課題となりえるだろう。

 「些細なことば」が巨大なうねりを作り出す

 デマによるパニックの特徴として、もはや発信源がどこだったのかを特定することができない(また、拡大してしまったあとは特定に大した意味がない)という点が挙げられる。

 今回の騒動も「この人物がデマの発端だった」とする情報をいくつか目にすることができたが、もはやそれが本当に震源だったのかを確定することはできない。「こいつがデマの発端だ!」という犯人捜しの指摘それ自体も、事態が進展した状況となってしまっては、真偽不明な「デマ」となってしまう可能性を有していることは留意しておきたい。

 デマのきっかけとなったのは、だれかが何気なく発した、じつに些末な一言であることがほとんどだ。だれかの何気ない小さなことばは、蝶の羽ばたきが対岸の嵐をもたらすバタフライ・エフェクトのように、やがては巨大なうねりを作り出していくこともある。1973年12月、ほんの数日間で、20億円もの預金が一気に引き出される取り付け騒ぎにまで発展した「豊川信用金庫事件」は、通学中の女子学生たちの何気ない会話がその発端となっていた。

 今回でいえば「紙製品は中国が生産している。マスクも紙製品であり、中国が生産していた。ということは、きっとほかの製品も、マスクのようにまもなく品薄になってしまうに違いない」という、出所のわからない筋書きが、その波紋を大きなうねりへと変貌させたのだ。

 「これはデマだ」と即座に判断するのは難しい

 冒頭で述べたとおり、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの紙製品は多くが国内生産されており、「中国からの輸入が途絶えれば枯渇する」といった言説は事実ではない。

 しかしながら、こうした言説を即座に「デマである」と判断することは難しい。私たちはデマに踊らされている人を目の当たりにして「自分はこんなものが最初からデマだとわかっていたのに、愚かな人たちだ」と感じてしまうかもしれないが、それは「後知恵バイアス」という心理的傾向によるものだ。

 あとから事実関係を知っている状態であれば、起きてしまった出来事をいかようにも評価できてしまうが、私もこうした言説を即座に否定できる自信はない。「怪しいがしかし説得力が皆無とはいえない言説だ」とひとまずは評価してしまうだろう。社会が混乱しているときにはなおさらだ。

 また、デマに踊らされてトイレットペーパーを買い占めた人は、実際に買い占めが発生したことによって街からトイレットペーパーが消えた光景を目の当たりにする。そうなると「ああ、やっぱり品切れになった。自分が先に買っておいたのは正解だったのだ」という成功体験を得てしまうので、「デマに奔走した人びとのせいで枯渇したのだ」という反省を得ることは難しくなる。社会心理学でいう「予言の自己成就」である。

 「デマを見抜いた人」も行列に加わる

 「2月上旬にうかうかしていたせいで、マスクを買うことができなかった」という失敗経験が市民社会には広く共有されているせいで、「この情報についてあれやこれやと真偽を検討する前に(それで後悔するよりも)念のために買っておいた方がいいだろう」と、多くの人が直感的な判断を下す可能性が高くなってしまう。

 実際のところ、ドラッグストアや雑貨店に殺到した人はみな、デマを完全に信じ込んだ人ではなかっただろう。むしろデマであることを見抜いていた人もいたはずだ。賢明なはずの彼らが結局行列に加わったのは、たとえデマを見抜いていたとしても、現実にトイレットペーパーが買い占められてしまっては、自分の生活が困ることにはまったく変わりがないからだ。

 適切なリテラシーを持っている人がデマであることを見抜いていたとしても、しかしそのリテラシーによって買い占めの巨大なうねりを防ぐことはできないなら、やはり街からトイレットペーパーがなくなってしまって自分の生活に支障が出るのを避けるため、デマに踊らされた人が押し寄せる前に先んじて買っておかざるをえない。

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