4月最終週、春は十分に到来し初夏を思わせる暖かい日も多い。無性に外に出て走りたくても、もう少しの我慢が必要だ。5月4日から封鎖解除の第1段階がスタートするが、レストランやバールで食事ができるのには、まだ1カ月待たないといけない。床屋や美容院も同じ。ただ、散歩の距離は増やすことが可能だ。建設現場の騒音も聞こえてくるだろう。
こういう時だから「前向き感」が表に出てくる。だからこそ、逆にベランダでオペラのアリアを歌う風景が減ってきたのではないかとも思う。あえて、ポジティブであるフリをする必要がない。
単に気候のせいではない。長いトンネルの先に見える光のせいだけではない。冒頭に述べたように、ネガティブであることに飽きたのではないか。
ネガティブなことを考えぬいたからこそ、腹が据わったという側面もあるかもしれない。考えることは、もう前向きでポジティブなことしか残っていない! とばかりに。
昨年の今頃、パリのノートルダム寺院の火災について書いた。巨額の寄付金が数日のうちに集まったあの話だ。以下だ。
「ぼくが気になるのは、巨額の寄付が即決過ぎないか、という点に尽きる。(中略)不幸中の幸いにして死亡者も出なかった大聖堂の火災である。もっと茫然自失とする時間があるのが自然ではないだろうか。そしてこの無残な大聖堂を前にさまざまに去来する想いを胸に、さらに日をおいて寄付を申し出るのが、あるべき時間の取り方ではないだろうか」