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生誕100年、新型コロナ禍で揺れる現代社会を射る「梅棹忠夫の目」 (1/3ページ)

 世界の文明史を独自の観点で解き明かした文化人類学者、梅棹(うめさお)忠夫(1920~2010年)の生誕から6月13日で100年、7月3日には没後10年を迎える。人類史を大づかみした「文明の生態史観」で分野を超えた洞察を示し、国立民族学博物館の構想を描いて初代館長を務めた。情報の本質を突いた「知的生産の技術」はインターネットの時代にも増刷を重ねる。グローバル化が進み、大量の情報が行き交う時代。時を超える「梅棹の目」は、コロナ禍で揺れる現代社会にも有効な視点を与えそうだ。(坂本英彰)

 東洋・西洋の枠組み超えて

 「あらゆる議論をし、議論を楽しんだ。ビール飲み放題で。梅棹さんにコテンパンにやられ、論理構築の難しさも思い知りました」

 国立民族学博物館の松原正毅(まさたけ)名誉教授(78)は昭和30年代後半の、京都・梅棹宅での定期会合を懐かしむ。梅棹はこの「金曜サロン」で地球といわず宇宙といわずさまざまな話題を取り上げて語り、多くの研究者を育てた。梅棹が36歳の時に総合雑誌に発表した論考「文明の生態史観序説」は高い視点に立つ梅棹らしい、またその名を世に知らしめた出世作である。

 〈ここでわたしは、問題の旧世界を、バッサリ二つの地域にわけよう。それぞれを、第一地域、第二地域と名づけよう〉

 「生態史観」で梅棹は、ユーラシア世界(旧世界)を横長の長円に例える。東西の両端が第一地域で、広大な中央部が第二地域。日本と西欧を含む第一地域では封建体制を経て資本主義が発達したが、中国やロシアなどの第二地域では乾燥地帯の遊牧民らによる征服が繰り返され、段階的な発展がなかった-と論じた。西欧と日本の「並行進化説」は話題を集めた。

 「棲み分け理論」で知られる今西錦司(きんじ)(1902~92年)らのもとで動物生態学を学んだ梅棹は1944~45年、いまの中国内モンゴル自治区で遊牧民の調査を行った。「生態史観」は、動物の生態を解明する科学の手法を人間社会の理解に応用したものだ。

 松原氏は「従来の学問の枠に入らない極めて斬新なものだった」と述べ、梅棹の学問的姿勢をこう語る。

 「東洋や西洋といった枠組みから離れ、遊牧民が歴史変動の原動力になっていると見抜いた。多くの研究者は自分の学問の狭い範囲に閉じ籠もってしまい、領域を超えることは誰にでもできるものではない」

 「生態史観」は未来も見通していた。第二地域について、こんな記述がある。

 〈内部が充実してきた場合(略)共同体がそれぞれ自己拡張運動をおこさないとは、だれがいえるだろうか〉

 中国の南シナ海での領有権主張活動や、ロシアによるウクライナ南部クリミア半島併合を予言したかのようだ。

 梅棹は司馬遼太郎(1923~96年)と何度も対談し親交が深かった。両者をよく知る松原氏は言う。

 「ともにイデオロギーにとらわれず、現場を歩いて考えることを大事にした。既存の枠組みの外でどんな思索ができるのか、二人から学べることは多い」

 〈松原正毅氏 京都大大学院文学研究科修士課程修了。京大人文科学研究所講師、国立民族学博物館教授、坂の上の雲ミュージアム(松山市)館長を歴任。専門は遊牧社会の研究〉

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