朝晴れエッセー

神社まいり・8月16日

 井戸端から、「パン、パン」と、祖父の打つ柏手(かしわで)の音で目が覚めるようになったのは国民学校1年生の頃である。その12月8日、大東亜戦争に突入した。

 半年間ほどは連戦連勝、日本の兵隊さんはどこまで強いのか…。しかし、3年生の夏、どうもおかしいと思うようになった。

 30歳を過ぎた父に召集令状が届いたからだ。父は小さなラジオ商の店を閉じ、ささやかな送別会をすませると、翌日歓呼の声に送られて出征した。

 そのまた翌日から、祖父は町内の3つの神社を1時間かけて参拝して回るのが日課となった。日曜日には一緒に回った。表向きは武運長久、胸の内は知る由もない。

 3カ月後、フィリピンの戦場に行くとの知らせがあり、面会に行ったのが最後となった。

 祖父の神社参りは戦争が終わってからも、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、1日も休まず5年間続いた。

 中学2年生のとき、父は町内で最も遅い英霊として白い箱に納まって帰ってきた。祖父の神社参りは父の帰宅の日で終わった。

 戦中戦後、苦難の中でも小さな時計商を営みながら、7人の子供と3人の孫が社会人となり、結婚するまで頑張ってくれた。そして、87歳、1週間の患いの後、あっけなく旅立った。あと1年で私もその年になる。

 コロナ禍で近くを散歩するだけの毎日であるが、コースは3つあって、いずれもその途中に神社が森の中に鎮座している。

 徳島から埼玉に所が変わっても祖父との神社参りは私の原点である。

大西亮(86) 埼玉県上尾市

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