ライフ

コロナで逝った「弟・志村けん」 兄が語る深かった家族愛と悔恨の葬送

 3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため、70歳で死去したタレントの志村けん(本名・志村康徳)さんの兄、知之さん(74)が8月、東京都東村山市の自宅で終活読本『ソナエ』のインタビューに応じた。昭和、平成、令和にわたって幅広い世代に愛され続けた「志村けん」の最期と、家族愛に満ちた弟「やっさん」の素顔をたっぷりと語ってもらった。(ライター・サトサトシ)

 「やっさん!」タブレットに必死の呼びかけ

--まだ気持ちの整理はつかないと思いますが、新型コロナ感染で看取ることができなかった志村けんさんの最期をお話いただけますか

 私たちが「陽性」と知ったのは3月23日夜。所属事務所の方からの連絡でした。15日ごろから体調が思わしくなかったようで、17日からは都内の自宅で療養していました。主治医の判断で20日に、東京都済生会中央病院(港区)へ搬送されました。

 当時は今ほど新型コロナの恐ろしさが知れ渡っていなかったと思います。私たちも最初はそれほど深刻に受け止めていませんでした。

 ところが、翌24日には国立国際医療研究センター(新宿区)に転院。私たちが訪れた28日には、すでに意識がなく、人工心肺装置(ECMO)が装着されていました。直接の対面が許されず、タブレット端末の画面で様子を確認する状況でした。思わず「やっさん!」と声をかけましたが、まるで眠っているように静かな表情で、反応はありませんでした。

 熱く、重かった骨箱

 その翌日、29日午後11時20分ごろ、事務所関係者から電話で訃報を聞きました。ショックで頭の中が真っ白になり、朝まで眠れませんでした。

 30日朝、葬儀社と寺に連絡し、弟夫婦、息子たちと病院へ向かいました。康徳は棺に納められ、霊安室に安置されていましたが、対面はできませんでした。数人の医師と看護師さんが立ち会ってくださり、地下駐車場から火葬場に出発する霊柩(れいきゅう)車を、親族と事務所関係者が合掌して見送るだけでした。

 火葬場にも行けず、自宅近くで葬儀社の方から遺骨を受け取りました。骨箱はまだ熱いと言っていいほど温かく、そして重かったです。骨箱を抱えたまま集まった報道陣に取り囲まれている間は大変でしたね。市民の皆さんも加わり、100人以上がごった返して。ファンの皆さんが弟をどれだけ愛してくださっていたのか、思い知りました。

 身内だけで極秘に行われた葬儀、志村さんが今年の新年、家族に語った新たな決意、少年時代の思い出など、インタビュー全文は17日発売の終活読本『ソナエ』秋号(産経新聞出版)掲載されています。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus