家族がいてもいなくても

(661)月を待ち、人を待ち 

 10月は私の誕生月。

 また1つ年を重ねる。

「めでたくもあり、めでたくもなし」ではあるけれど、今年は中秋の名月が誕生月の初日に重なった。そのことで私は格別な感慨を覚えている。

 というのも、私の母は家族の誰の誕生日も「異国の風習よ」と言って祝ったりしなかった。でも、お月見だけは欠かさなかった。

 三方(三宝)にお団子を供え、ススキや萩を生けてお月見をする。

 子供のころ、「お団子ちょうだい」と部屋の中を駆け回り、「月は静かに眺めるもの」とたしなめられたことが印象深い。

 母は古典好きで、短歌を詠むような人だったので、月への関心は自然なことだったのかも。

 一方、私のお月見好きは、母の置き土産のようなもの。自分でも意味不明だが、那須に来て以来、一層、月が身近な存在になった。とりわけ、秋になると一段と月が美しい。明るさを増す。

 毎晩、食堂から部屋へ戻る折、空を仰いでは月を眺める。

 「今夜の三日月は、はかなげね」とか「月明りのなかで散歩するのが素敵」とか、なにかと月を話題にすることが多い。

 先日の中秋の名月は、以前から3軒先に住むトヨフクさんと、萩の花やススキの美しい中庭で、ビールを飲みつつお月見をしようね、と約束していた。

 ところが、その夜はぎりぎりまで空の様子が思わしくなく、つい食堂でぐいぐい飲んでしまった。

 結局、「宴は明日に」ということにして、外へ出たら、雲の中にいた月が、私たちを待っていたかのように煌煌(こうこう)とした光を放っていた。

 2人とも、酔っぱらうとはしゃぎ出し歯止めのつかなくなるタイプ。夜の静けさに包まれた家々の間を、月を眺めながら徘徊(はいかい)した。

 最後に「ここがお月見のベストスポット」と決めたのが、私の部屋の前の階段。そこに並んで座って、仲良く月を眺めていたら、彼女が何気なく言った。

 「ここで10年待って、あなたに会えたってわけね」と。

 意表を突かれた。

 待っていたら誰かに会える、などと私は思ったことがなかった。いつもどこかへ出ていくことばかり考え、誰かを喪(うしな)うばかりの日々になった。

 でも、これから出会う人をここで待っている、私もそう思ってみようかと、月を眺めながらしみじみしてしまったのだった。

(ノンフィクション作家 久田恵)

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