いつか行ってみたい、と願っていた岡山県倉敷市の大原美術館へ、仕事の依頼で初訪問した。
日本初の西洋美術館として昭和5年に開館。先の大戦中もギリギリまで開館を続け、運命の昭和20年8月、広島の大惨事に一度は門を閉めたが、同月中に再開。「どんな状況下でも美術は人の心に必要」というポリシーは戦後も多くの人の心を救い、来館客の方々の手記にはその痕跡がありありと残されている。
今回のミッションは、現代まで至るそのいくつかのエピソードを私が美術館で朗読する、という趣旨である。朗読好きとしても大変心躍る依頼だった。
指折り数えてついに収録前日。時節柄、体調の万全を確認し、私は一般客として大原美術館へ向かった。こういうとき、うっかり関係者に告げてしまうと「では裏口から」などと特別待遇を受けてしまうことがあるが、それでは意味が薄れてしまう。あくまでも他のお客さまと同じ足並みで“素”の館内を体感し、朗読内容に記された体験に思いをはせて鑑賞したかった。
気に入ったものは作家名、年代などをささっと軽く記し、鑑賞を終えた後にお茶を飲みつつ、もう一度頭の中でその作品たちを思い浮かべる時間が大好きだ。この日も13作ほどを胸のうちに納め、この美術館を愛する人々との共感もバッチリ。安堵(あんど)感とともにホテルへ戻った。
そして当日。朗読パートをつつがなく終え、司会進行の方とともに、大原美術館館長の高階秀爾(たかしな・しゅうじ)先生から興味深い解説をいただきながら、創立から現代までの軌跡をたどった。美術館は気ままに一人も楽しいが、専門家の案内があると格別にぜいたくな時間となる。
収録は順調に進み、最後に工芸館で自分のお気に入り作品を、というところで私がやらかした。前日のメモを基に「宮本ケンイチ」を探したが、「富本憲吉」だったのだ。
字がのたくっていたため印刷所で「嫉妬」を「猿股」と誤読されたという、大好きな向田邦子さんのエピソードが頭をよぎる。しかし猿股ほど面白くないし、20メートルほどとはいえ皆さんを無駄に歩かせてしまい、大変申し訳なかった。
ちなみに今回最も気に入った絵画は、故児島虎次郎氏の「朝顔」3連作である。マスク越しの猛暑の記憶を浄化するような、澄みきった夏の日差し…。気軽に行楽できる時期を迎えたら、ぜひ実物をごらんいただきたい。
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みむら・りえ 昭和59年、埼玉県出身。女優としてドラマや映画に多数出演する一方、エッセイストとしても活動。平成30年に「ミムラ」から改名。著書に『たん・たんか・たん』(青土社)など。来年の元日放送『大岡越前スペシャル』に出演。